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特攻インタビュー(第8回)・その3

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通常 特攻インタビュー(第8回)・その3

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/5/19 6:37
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆「五省」の思い出

 --------入隊後、理想と現実のギャップに悩まされたという体験談がありますが、粕井さんはいかがでしたか?

 粕井‥私の場合、それほどありませんでした。入隊前、昼は鉄工所の事務員勤めをして晩は夜学へ通う。毎日、長距離を歩かなきゃいけない。食糧事情も良くありませんでした。それに比べ、海軍では食料がとても豊富というか、足りていましたし、運動もできますし、体力がモリモリついてくるのが自分でもわかりました。あっというまに3キロばかり肥えました。運動選手だった者は食料が少ないといって体重も減りましたけども、私の場合は規則正しい生活をしたし、それから勉強も……座学というやつですね、これもできました。だから、精一杯がんばって自分の力が発揮でき、かつ認められるということで理想と現実の間で悩んだということはありませんでした。

 --------予備学生としての生活や訓練はどのようなものだったのでしょうか?

 粕井‥夏と冬では少し違うでしょうが、朝6時前後に起床、それから洗面、集合、体操です。それから朝礼があって、別科があって、いろんな座学もあれば体技もありますし、それが午後4時ごろ終わりまして、それからまた別科で体技とかいろいろあって、夜は温習、いわゆる自習時間です。そういうふうな規則正しい生活で、夜は9時か9時半ぐらいに巡検といって、日直将校が各隊を検分して回って、そのあと就寝という非常に規則正しい環境でした。

 --------入隊から飛行機に始めて乗るまで、どのくらいかかったのですか?

 粕井‥昭和18年9月に入隊して、乗ったのは翌年の昭和19年1月ですから、4ヵ月ぐらいですか。

 --------その間は、ひたすら基礎教育ですか。

 粕井‥はい。体育だと、まず基本的に駆け足ですね。それから相撲をやりました。それ以外にカッター……短艇、ボート漕ぎです。それから手旗信号。それからトンツー……通信の発信受信。それと海軍士官としての一般的な教養や心得……特に、指揮官としての心構えというようなことについて徹底して仕込まれました。

 --------短期間で海軍魂を入れるため鉄拳制裁が当たり前だったという話もありますが。

 粕井‥同じ飛行予備学生でも、土浦航空隊と三重航空隊では大分、違うみたいです。土浦は当時の飛行長がスパルタ教育をやったようです。ところが、三重海軍航空隊の方は寝る所がベッドでした。土浦はハンモックでしたが。それから、トップに立った教育主任の田村中佐、その後、長谷川という名前に変わりましたけど、この方が非常に温厚ないい方で……100歳ぐらいまで生きられましたか。慰霊祭には毎回お越しになりました。それから、教育主任補佐官の国定謙男少佐が立派な人でした。この方は終戦になって、自分の教えた学生がずいぶん戦死した、この責めを負わなければならんということで、終戦直後の、確か昭和20年8月23日ですか、自分の菩提寺に奥さんとお子さんたち2人を連れて、子どもたちにキャラメルを与えて拳銃で撃ち、奥さんも拳銃で撃ち、ご自分は割腹自殺された。それぐらい立派な方でした。そういう立派な方たちの言動に対して、私は本当に惚れ込んでおりました。いわゆるイジメとか嫌がらせなどは、ほとんどと言っていいくらい受けたことかありません

 --------三重での教育期間で印象に残っていることは何かありますか?

 粕井‥夜の温習、いわゆる復習時間が特に印象に残っています。「五省(ごぜい)」という5つの反省をやるわけです。当番の学生が、全員の目をつぶらせて静かにさせた後、五省を…… 
 「一、至誠に惇る勿かりしか。
  一、言行に恥づる勿かりしか。
  一、気力に缺くる勿かりしか。
  一、努力に憾み勿かりしか。
  一、不精に亘る勿かりしか。」
 ……これを1つずつ区切って唱えるんです夜、シーンとした中で、それを唱えると、非常に……後に、私は趣味で催眠術やったことあるんですが……脳の表面の、新しい脳の皮質が麻庫した状態で、潜在意識に軍人精神が注入されるというような、そういう時間を持つわけです。「ああ、おれはまだまだ努力が足りなかった」とか、「まだまだ気力が足りなかった」とか、「もっとベストを尽くすべきだったな」とことを、毎日、反省を繰り返しながら向上していったわけです。

 --------粕井さんにとって海軍生活はご自分の性格に合っていたようですね。

 粕井‥合っていたというか、入隊した時、私はまだ19歳ですから、非常に純真というか……。私は、どちらかといえば、すぐ何かに惚れてしまう方なんです。非常に感化されやすい性分なのでしょうか。例えば、戦前、吉川英治の『宮本武蔵』を何回も読んでみたり、谷口雅春先生の書かれた『生命の賓相』あたりを何回も読み直したりして、精神的な向上を出来るだけ目指そうとしていました。だから、最も素直な、純真で若かった時代ということがいえるでしょう。

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