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特攻インタビュー(第8回)・その12

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通常 特攻インタビュー(第8回)・その12

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/6/1 6:31
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 ◆特攻出撃三十分前 1

 --------観音寺基地から国分基地に移ったのは、いつ頃でしたか?

 粕井‥昭和20年7月です

 --------国分基地では、もう訓練は行わなかったのですか?

 粕井‥もう訓練は出来ません。制空権はアメリカ側にありますから。毎日が出撃待機でした。飛行機は木の葉などで隠して、出撃する時には道路を利用して飛行場まで持って行って、そこで爆装して飛んでいくというわけです。

 --------特攻命令をひたすら待つというのは、やはりつらいものでしたか?

 粕井‥なんかこう、ものすごく不安定です。どうしていたのかな……。やはり、不安な気持ちで晩は一杯飲み、そしてダジャレを言い合って過ごしたんでしょう。

 --------昭和20年8月10日に、いよいよ出撃命令が下されるわけですが、その日のことを教えてください。

 粕井‥その日、索敵機から「敵艦艇が日向灘沖約100マイルに接近しつつあり」という連絡が入り、攻撃3時間待機という命令が出たんです。搭乗割が貼られて、一番先頭に私の名前がありました。あと、2人乗りが3機、1人乗りが8人ぐらい。偵察員を入れずに1人で飛んでいく者もいたから、全部で16~17人だったと思います。索敵機からは、その後、ぜんぜん情報が入らなかったんですが、そのうちに30分待機になって、いよいよ、「これはもうしまいやな」と思いました。

 ところが、昼過ぎから天候が悪くなって雲行きもおかしい……。雲があってもどうということはないと思うかもしれませんが、山に雲がかかると、雲の上へ行っても雲が厚い場合、どこまでいっても雲です。雲の下をくぐって行くと山が高かったらぶつかります。だから、雲がある状態で飛行するというのは難しいんです。そこへ、驟雨というんですか、そういうのが、サアつと降ったりするんです。これはもう、練度の低い連中では無理だと司令部が思ったのか、出撃中止ということになりました。実際、練度も低く、観音寺から国分へ異動するときに2人死んでいます。私の2番機が豊後水道にはまって沈没しましたし。機体もエンジンも信頼できるものじゃなかったんです。結局、その日は解散、攻撃中止、待機ということになったんです。

- -------攻撃中止が決まった時は、ほっとしましたか?

 粕井‥ほっとしたというより、死ぬ時がのびただけという気持ちでした。攻撃中止になった時は、「ああそうか。なんか今日はストップや」、「次いつやねん」という感じです。

 --------3時間待機命令が出た後は何をしていたのですか?

 
 粕井‥まず、爆弾の装着をします。それから燃料を積んで、いつでも出撃出来るように暖機運転をしながら待っているわけです。

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