特攻インタビュー(第10回) 9
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◆生と死 その2
-------今、改めて特攻というものをアメリカ人や外国人に伝えるとしたら、どのようにお話をされますか?
田中‥難しいでしょうね。生還の見込みのない攻撃と言っても……少なくとも我々は純粋な気持ちでね。国のため、親兄弟のために犠牲になると……それは人間ですからね、どんな場合でも「生」というものは執着があると思います。
岡本‥私はね、出水の航空隊にいる時の教員が、みんなラバウルとか、ミッドウェーで負傷した人たちが教員でした。もう、空母はほとんどない。でも、フィリピンから沖縄へとアメリカ軍は上陸してくる……そして、松島空にいる時、……田中さんはもう出撃していたけど、第4次か第5次の出撃で、黒板に私の名前が書いてあるのを見たんです。「岡本鐵郎」と……。その時は足がブルブルと震えてね。体が地面にめり込むような感じで、もうこれで死ぬんだと……。
それで、話は前後しますが、松島海軍航空隊と豊橋海軍航空隊から第1次、第2次特別攻撃隊が出水に行った。で、私は松島にいる時、すべて特攻だと思っていたんです。ところが、豊橋海軍航空隊飛行長の巌谷二三男少佐が鹿屋の第五航空艦隊司令部に、「オンボロの九六式陸攻や一式陸攻で特攻に行くのは、みすみす落とされに行くようなものだ。だから、夜間爆撃に切り替えてほしい」と言って、夜間雷撃に方針が変わったんです。
ところが、それを我々は知らないし、1次も2次も3次攻撃隊も帰ってこないから、特攻で出撃したと思っていたら、実は特攻はやめて夜間雷撃になっていたわけです。それを知らないものだから、私はもうこれで終わりだと思ったんです。それから地面にスーツと沈み込む感じでね、空がフーつと離れていっちゃうんですよ。これで、4、5日後には死ぬんだなと思うと、親父が悲しむだろう、お袋が悲しむだろうと思うんだけど、不思議とこう下腹の辺りからね、いや、やっぱり行こうと。もう敵は沖縄を攻撃して、いずれは本土の九十九里とか相模湾とかに上陸して日本民族はやられちゃう。だから、せめて敵の輸送船でもいいから当たって、少しでも日本の被害を減らそうと。そういう気持ちが不思議とお腹の中から沸いてきて、それから頭の方にも来て、「ああ、自分も死ねるな」と、泣いたり喚いたりしなくて死ねると思って、思わずニッコリしてね。
それで、自分の宿舎に帰りました。恐らく、田中さんにしても全員ね。あの負け戦で、日本人は皆殺しとまではいかなくても半数近くは艦砲射撃と爆撃で殺されてしまう。それを少しでも防がなくてはという気持ちでみんな出撃したのではないですか。