特攻インタビュー(第10回) 18
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編集者
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◆日本の思い違いで始まった戦争 その2
-------アメリカとの戦争がなぜ行われたのか、何かご意見がありますか?
田中‥あの当時もね、若い人の中には、戦争に対して非常に懐疑的だった人もいました。それは少数でしたけど、いたことはいました。戦争に懐疑的で批判的だった人はいました。
岡本‥土浦で知り合った東大出の予備学生は非常に懐疑的でした。日本はこんなことでは負けると言っていましたね。頭のいい人はもう分かっていたんですね。その彼は要務土に回されて、結局、フィリピンのクラーク飛行場に行って、陸戦で戦死しました。私自身も海軍に入って、下士官は下の者をこき使う。海兵出は予備学生をいじめる。戦後、海軍上層部のやったことを知ると、海軍にいましたが海軍への不信感というものがあります。
チャーチルの 「第二次大戦回顧録」に書いていましたが、日英同盟はアメリカの強い要請でイギリスから破棄することになったらしいですが、イギリスもアメリカもドイツのヒトラーが暴れまわるし、ソ連は大きくなるし、中国には共産主義がどんどん入ってくる。それで、日本は満州、北支くらいまでは国土が狭いから与えて、ファシズムと共産主義の防波堤として頑張ってもらいたいと考えていた。それが突然、ドイツと日独伊三国軍事同盟を結び、ソ連とも不可侵条約を結ぶ。そして、フランス領インドシナ半島に進駐する。それでは困ると禁輸をしたら、日本は禁輸されたから今度は真珠湾攻撃だと……。だから、日本は思い違いをしていたんですね。日本は上海までの進出に止まって、蒋介石を助けたり、うまくやっていれば、イギリスやアメリカを味方にできたかもしれない。イギリスやフランスはドイツにやられて、アメリカに助けを求めるしかない。とても太平洋で日本と戦争をする気はなかった。だから、私は残念でならない。でも、日本人が、朝鮮や大陸で何千万という異民族をうまくマネジメントできたかというとダメだったと思います。だから、日本人は小さく、静かに、貧しく、チマチマと生きながら終わるのかもしれません。
田中‥基本的には教育です。誤った教育のため、ああいう大きな戦争に巻き込まれた。閉ざされた偏向教育というのは怖いと思います。岡本‥天皇陛下の 「て」を聞いたら、もうパッと背筋を伸ばさなければならない。で、正月だ、何だというと、みんなでゾロゾロと宮城前広場(現・皇居前広場) に行く。それもいいけど、軍隊が天皇を利用して、「天皇のため」「神国のため」「八紘一宇だ」と言って、そういう理由で滅茶苦茶に訓練をやるわけです。だから、私たちは高等学校、大学を出て良識がある者にとってはバカバカしかったですね。
-------そうすると、軍隊に入るのが嫌だった学生もいたのではないですか?
田中‥いましたね。
岡本‥でも、そういうことを言える雰囲気ではありませんでした。みんな、死に物狂いでやっているんだと。今さら、いい悪いではなく、国と国が殺し合いをやっているんだから、その時に嫌です、なんて言えません。みんなそうだったと思います。
田中‥今でもあるんじゃないですかね。正論が通用しない。正しい考えが通らず、全体がある一つの方向に進んでいく。今の時代でも同じことがあると思います。普通の社会でもね。