特攻インタビュー(第10回) 12
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◆特攻から夜間爆撃に その1
-------松島を出撃した時は特攻のつもりだったはずが、夜間雷撃に変わっていたということですが、それは出撃先の出水で知ったのですか?
田中‥松島を出撃するということは、沖縄への攻撃に参加するということですからね。直前まで具体的な命令は出ませんでしたけど。
岡本‥でも、松島では特攻と言われたのか、言われなかったのか。田中さんはどうでした?
田中‥特攻とは言われませんでしたね。でも、特攻と同じですよ。
岡本‥搭乗割の黒板に、「第〇次特別攻撃隊」と書かれているんですよ。だから、我々はみんな、特攻だと思っていました。だから、私より先に出撃した田中さんたちはもう死んでいると思っていました。
田中‥普通の攻撃でも出撃したら99%は生還しないんですからね。それを知っていましたから、特攻だろうが、通常の攻撃だろうが、あまり意識しませんでした。出撃すれば死ぬんだと思っていました。
-------田中さんは何次の特別攻撃隊として出撃したのですか?
田中‥第4次だったかな‥‥ 昭和20年5月6日に沖縄に向け、出水を出撃しました。午前零時過ぎです。一式陸攻に250kg爆弾を2発、60kg爆弾4発を積みました。約1t近い爆弾をかかえたわけです。魚雷1本よりも重いくらいですね。それで離陸するというのは、やはり大変なことなんです。離陸に失敗した人もいますからね。 私の飛行機には、右側の操縦席に和田飛曹長という、私より10歳くらい年長のベテランがいました。それから、搭乗整備……搭整と言っていましたが、機関関係を扱う人ですね。それも、楢木野 (ならきの) 上飛曹長という歴戦の人がいました。ペアは6人でした。操縦が2人、整備が1人、偵察は13期飛行予備学生の榎本中尉(旧姓・鳴門)、あとは若い下士官でした。戦争の場数を踏んだ人がいましたから、生還できたのもそのおかげと思います。 さっきも言ったように、過重状態で離陸するわけですから緊張しました。離陸後、私たちは沖縄の北飛行場の爆撃に向かいました。快晴で、月は出ていませんでしたが、星がきれいでした。それで、高度5500mで、東シナ海を西寄りのコースをとりました。沖縄にアメリカ軍が上陸して、飛行場を全部占領していましたからね。途中で落とされる可能性は高かったんです。敵の夜戦を警戒して、遠回りしましたから時間が掛かりました。でも、その方が安全だったんです。