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 旅行記   2015.1.1更新

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  • [No.5151] Re: 飯田線と遠州鉄道をつなぐ旅 投稿者:男爵  投稿日:2017/01/06(Fri) 16:54
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    > 飯田線は、愛知県豊橋駅と長野県辰野駅を結ぶJR東海の路線ですが
    > 6時間以上かかります。
    >
    > この飯田線の途中の水窪(みさくぼ)駅から静岡県の(遠州鉄道)西鹿島駅まで
    > 山の中を走るバスがあります。

    > それからずっと、このルートを旅することを願い続けて
    > やっと最近実現しました。
    > この旅には時間と機会が必要です。

    そういうわけで
     豊橋−水窪−西鹿島−浜松
    というルート(飯田線、バス、遠州鉄道)を決行します。

    まず
    豊橋駅で飯田線に乗ります。

    豊橋駅のホームには、名鉄電車も乗り入れているからおもしろい。


    [No.5150] 飯田線と遠州鉄道をつなぐ旅 投稿者:男爵  投稿日:2017/01/06(Fri) 05:20
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    画像サイズ: 930×650 (77kB)
    飯田線は、愛知県豊橋駅と長野県辰野駅を結ぶJR東海の路線ですが
    6時間以上かかります。

    この飯田線の途中の水窪(みさくぼ)駅から静岡県の(遠州鉄道)西鹿島駅まで
    山の中を走るバスがあります。

    いまから4、5年前に
    松本駅を早朝に出発して、辰野から飯田線に乗り換え
    水窪で降りて、西鹿島までのバスに乗り換えて
    終点の西鹿島から遠州鉄道で浜松まで移動しようと考えたことがあります。

    浜松では知り合いのみなさんとオフラインをする予定でした。

    しかし、時期が1月なので、冬だと水窪から西鹿島までのバスが遅れたり運休するのではないかと考え
    結局、飯田線の終点の豊橋まで行って、豊橋から新幹線で浜松まで移動したことがあります。


    それからずっと、このルートを旅することを願い続けて
    やっと最近実現しました。
    この旅には時間と機会が必要です。


    [No.5149] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/31(Sat) 20:02
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    > シルクロード学者の加藤 九祚(かとう きゅうぞう)氏を団長として
    > ウズベキスタン旅行をする機会がありました。

    加藤九祚先生は上智大学の学生のとき
    学徒出陣をしたのです。 そしてその後に厳しいシベリア抑留をおくることになる。

    このシルクロード旅行のときに、加藤先生はミス・ロンビアの「十九の春」を歌ってくださったのだが
    それはおそらく、加藤先生が二十歳の頃の学生時代に歌った歌なのだろう。

    そしてさらに聞いたら、当時の詩集「交替の時」が好きだったそうです。

    それから
    ネットで調べると
    この詩集は、喜志邦三(きし くにぞう)の詩集だったのですね。

    喜志邦三といえば
    あの三浦洸一 の歌った歌「踊子」を思い出します。
    https://www.youtube.com/watch?v=hk_QYBAab-I


    [No.5148] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/30(Fri) 05:48
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    画像サイズ: 550×355 (19kB)
    > シルクロード学者の加藤 九祚(かとう きゅうぞう)氏を団長として
    > ウズベキスタン旅行をする機会がありました。

    加藤九祚先生の本は数冊読んでいたのですが
    この旅行の前に目についた本は残らず読みました。

    旅行から帰ってからも探して読みました。

     ◇加藤九祚:シルクロードの大旅行家たち 岩波ジュニア新書 317
     ◇マッソン著・加藤九祚訳:埋もれたシルクロード 岩波新書769
     ◇加藤九祚:中央アジア歴史群像 岩波新書419
     ◇加藤九祚:シルクロードの古代都市 岩波新書1444
     ◇加藤九祚:中央アジア遺跡の旅 、NHKブックス 334
     ◇加藤九祚:西域・シベリア 中公文庫
     ◇加藤九祚:ユーラシア野帳 恒文社
     ◇加藤九祚:ユーラシア文明の旅 新潮選書 (1974)
     ◇加藤九祚:天の蛇  河出書房新社  第三回大佛次郎賞(1976年度)受賞
     ◇加藤九祚:初めて世界一周した日本人 新潮選書
     ◇加藤九祚・長沢和俊・護雅夫:シルクロード 筑摩書房
     ◇井上靖・加藤九祚・NHK取材班:シルクロード ローマへの道 第十巻 アジア最深部 ソビエト(2) 日本放送出版協会


    写真はカラテパ発掘の歌
    これは加藤先生が発掘のかたわら作詞したようです。
     (曲はあざみの歌なので、一種の替え歌でしょう)
    http://www.geocities.jp/marucyann1/azaminoutahiwa.html


    ある本に
     「満足死」ということが書いてありました。
    仕事をしているときコロッと死んでしまえば最高に幸せであると。

       道楽息子でも、親が寝込んでから一週間は介護する。
       介護は長くても、せいぜい一ヶ月にするのが理想。  それより長いと悲劇。

    加藤九祚先生は、テルメズの病院に連れてこられたとき、医師が点滴をしますかと聞いたのですが、点滴はいらないと言ったそうです。
     加藤先生はロシア語が上手でした。現地では通訳いらず。


    [No.5147] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/30(Fri) 05:35
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    画像サイズ: 700×429 (40kB)
    >> シルクロード学者の加藤 九祚(かとう きゅうぞう)氏を団長として
    >> ウズベキスタン旅行をする機会がありました。

    唐辛子紋次郎さん

    > あの方の辿った軌跡を大急ぎでおさらいしたのですが、
    > あの方は、ウズベキスタンで発掘調査に携わっている最中に倒れ、現地の病院で逝去された、と。
    > ああ、さすがだ。加藤さんが94歳という高齢をものともせず、お仕事中に他界された(つい数か月まえのことです)と知ると、余計その偉大さが偲ばれます。

    この旅行記は
    平成24(2012)年9月5日から12日までの8日間
    中央アジアのウズベキスタンに行ってきたときの旅行記です。

    加藤先生を団長とするシルクロード旅行団は、ずっと続いてきたようなのですが
    だんだん参加者も年をとって旅行は無理となり
    おそらくこれが(加藤先生にひきいられる)最後のシルクロード旅行団だろうと
    出発前に言われたことがあります。

    私はある人から、ぜひ参加するようにと勧められて参加したのですが
    私が最後の申込者のようで、私が加わって10名に達したと記憶しています。

    この旅行の最中に、加藤九祚先生の卒寿の祝いをみんなでホテルで行いました。
     (卒寿といえば、あの変蝠林さんの卒寿祝いを思い出します)

    加藤先生は毎年、ウズベキスタンのテルメズで発掘を行ってきましたが
    今年の9月に発掘中に亡くなったのでした。

    そして案内があり
    加藤九祚先生を偲ぶ会  2016.11.3  市ヶ谷のJICA地球ひろば
    に出席してきました。
    http://www.sankei.com/life/news/161011/lif1610110009-n1.html

    http://nobuhiko-shima.hatenablog.com/entry/20161024_1

    4年前の旅行で一緒になった方々と会えるかと思ったのですが、主催者を除けば
    私だけでした。 一緒に行った方々は来られませんでした。

    どういうわけか小池百合子都知事も来ていました。
    僧侶は薬師寺から来られたのです。(薬師寺がテルメズの発掘の支援をしていたようです)


    [No.5146] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/12/29(Thu) 11:23
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    加藤 九祚さんというのは、以前なんどか聞いたことはあっても、大体なんとお読みするのか分からなかったのです。あれを一発で読める人はまず、いないでしょうね。

    大正11年生まれということで、この方はそうとう長命の方だなあと思ったら、すでに亡くなっておられました。やはり、享年94歳というご長寿でした。

     あの方の辿った軌跡を大急ぎでおさらいしたのですが、あの方は、ウズベキスタンで
    発掘調査に携わっている最中に倒れ、現地の病院で逝去された、と。ああ、さすがだ。加藤さんが94歳という高齢をものともせず、お仕事中に他界された(つい数か月まえのことです)と知ると、余計その偉大さが偲ばれます。

     ここを読んで、たまに作家などが、書斎で原稿用紙に向かって万年筆を走らせながら、
    そのまま息絶えていた、といったシーンをつい思い浮かべてしまいました。

     シベリアでの厳しい抑留生活にも耐え抜いたということから見て、人並み以上に頑健な
    お体をお持ちだったのでしょうね。ところで、大掃除をしていたら、ある旅行社の会報が
    みつかり、そこにティラカリメドレセの(レギスタン広場にあるという)青いドームが大
    写しになっていました。ただ美しいとしか、いいようがありません。

     その旅行社のツアの参加者の写したもののようですが、この青というのは、ティムールの一番好きだった色だそうですね。


    [No.5145] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/29(Thu) 05:20
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    画像サイズ: 320×428 (26kB)
    > グーリ・アミール廟。
    >タジク語でアミールの墓という意味。アミールは本来、司令官を意味するアラブ語だが
    >君主としてハーンの称号を名乗れるのはチンギス・カンの男系子孫に限られていたから
    >チムール朝の君主はアミールを使用したという。
    >したがって、ここはチムール・アミール一族の君主たちの墓である。


    1941年ソ連の学者が(多くのウズベク人の長老たちの警告を無視して)チムールの墓を開いたら、伝承どおりチムールの右手右足が不自由だったこと、ウルグベクが首を切られて殺されたことが確認された。

    しかし、この墓にはほかの伝承もあった。「何びともこの墓を開く者は我より恐ろしき者に打ち倒されるであろう」

    はたして、翌日の6月22日、ヒトラーは独ソ不可侵条約を破りソ連に侵攻を開始したのだった。


    [No.5144] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/29(Thu) 05:13
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    画像サイズ: 521×358 (25kB)
    グーリ・アミール廟。
    タジク語でアミールの墓という意味。アミールは本来、司令官を意味するアラブ語だが
    君主としてハーンの称号を名乗れるのはチンギス・カンの男系子孫に限られていたから
    チムール朝の君主はアミールを使用したという。
    したがって、ここはチムール・アミール一族の君主たちの墓である。
     (チンギス・カンの子孫ではないチムールは、チンギス家一族のチャガタイ・ハン・カザンの娘と結婚して、権威づけをした)

    建築の本を読むと、このドームはどんぐり形と書いてある。
    建物の内側から見えるドームの上に、遠くからでもよく見えるよう更に外側にドームをつくり
    ダブル・ドームとなっている。


    [No.5143] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/28(Wed) 05:22
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    画像サイズ: 477×446 (26kB)
    >偶像禁止のイスラム建築において
    >このシェルドル(シールダール)・メドレセのようにシカを襲おうとするライオンと
    背中の太陽神の絵があるのは珍しい。

    >ペルシア語シール、ウズベク語シェールはライオンのことだが、この絵は虎みたいだ。

    >ライオンはサマルカンドのシンボルだったともいわれている。

    ガイドさんが、この絵が印刷された紙幣を見せてくれた。

    ウズベキスタンでは、他にも 偶像禁止のルールが守られていない例を見た。

    もっともエジプトだってイスラム以前の民族固有の遺跡があるのだから。


    [No.5142] Re: ウズベキスタン旅行 投稿者:男爵  投稿日:2016/12/28(Wed) 05:16
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    画像サイズ: 844×358 (65kB)
    偶像禁止のイスラム建築において
    このシェルドル(シールダール)・メドレセのようにシカを襲おうとするライオンと
    背中の太陽神の絵があるのは珍しい。

    ペルシア語シール、ウズベク語シェールはライオンのことだが、この絵は虎みたいだ。

    ライオンはサマルカンドのシンボルだったともいわれている。


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