硝煙の海 菊池 金雄 18
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「軍のスパイ暗躍」追跡情報(平成二十年十一月)
―ラングーン米積取り船による南機関の工作か?
南機関発足
昭和十六年二月一日 参謀本部に陸海軍関係将校が参集し、ビルマの独立支援目的の「南機関」(機関長・参謀本部付元船舶課長の鈴木敬司大佐)が、大本営直轄機関として設立され、同大佐は同年三月、大本営陸軍部から、ビルマルート遮断策について研究するよう内示をうけた。当時ビルマに関しては海軍がラングーン在住の予備役大尉国分正三を通じて早くから情報収集に努めていたが、陸軍側にはあまり情報は無かった。それで鈴木大佐は活動開始にあたって上海の特務機関員の樋口猛、興亜院の杉井満、満鉄調査部の水谷伊那雄らに協力を求めた。
鈴木大佐は同年六月、日緬協会書記兼読売新聞特派員「南益世」と偽ってラングーンに入り、タキン党員と接触の結果、アウン・サンとラミヤンがアモイに潜伏していることを知り、彼らを日本に招くこと決めた。十一月、アウン・サンたちはアモイの日本軍特務機関員によって発見され日本に移送された。鈴木大佐はアウン・サンに「面田紋二」、ラミヤンに「糸田貞一」の偽名を名乗らせて郷里の浜松にかくまった。
アウン・サンたちの来日を契機に、陸海軍は協力して本格的な対ビルマ工作を推進することを決定。当面、対外的には「南方企業調査会」と、偽称することとした。
主要メンバー
陸軍 -鈴木敬司大佐(機関長)、川島威伸大尉、加久保尚身大尉、野田毅中尉、高橋八郎中尉、山本政義中尉(川島大尉、加久保大尉、山本中尉は陸軍中野学校出身)
海軍 - 児島斉志大佐、日高震作中佐、永山俊三少佐
民間 - 国分正三、樋口猛、杉井満、水谷伊那雄
鈴木大佐は南機関の本部をバンコクに置き活動を開始した。南機関の任務は、世界最強のイギリス情報機関を相手として、日本の関与をいささかも漏らすことなく謀略を成功させるという極めて困難なもので、次のような行動計画を立てた。
ビルマ独立運動家の青年三十名を密かに国外へ脱出させ、海南島または台湾において軍事訓練を施す。訓練終了後は彼らに武器、資金を与えてビルマへ再潜入させ、武装蜂起の準備をさせる。武装蜂起の時期は昭和十六年年六月頃とする。
同年二月十四日、杉井とアウン・サンの両名に対し、ビルマ青年の手引きを命ずる作戦命令第一号が発せれた。両名は船員に変装して、ビルマ米輸送の日本貨物船でラングーンへ向かい、第一陣のビルマ青年四名の脱出を成功させた。以後六月までの間に、海路及び陸路を通じて脱出したビルマ青年は予定の三十名に達した。この三十名が、後にビルマ独立の伝説に語られることになる「三十人の同志」である。
四月初旬、海南島三亞の海軍基地の一角に特別訓練所が開設され、ビルマ青年が順次送り込まれて過酷な軍事訓練が開始された。ビルマ青年たちのリーダーはアウン・サンが務めた。訓練用の武器には中国戦線で捕獲した外国製の武器を準備するなどして、日本の関与が発覚しないよう細心の注意が払われた。グループに比較的遅れて加わった中にタキン・シュモンすなわちネ・ウィンがいた。彼は理解力に優れ、ひ弱そうに見える体格の内に凄まじい闘志を秘めていた。ネ・ウィンはたちまち頭角を現し、アウン・サンの右腕を担うことになる。