硝煙の海 菊池 金雄 21
投稿ツリー
-
硝煙の海 菊池 金雄 (編集者, 2013/2/3 8:17)
- 硝煙の海 菊池 金雄 2 (編集者, 2013/2/4 8:37)
- 硝煙の海 菊池 金雄 3 (編集者, 2013/2/6 8:43)
- 硝煙の海 菊池 金雄 4 (編集者, 2013/2/8 8:38)
- 硝煙の海 菊池 金雄 5 (編集者, 2013/2/14 8:13)
- 硝煙の海 菊池 金雄 6 (編集者, 2013/2/16 9:12)
- 硝煙の海 菊池 金雄 7 (編集者, 2013/2/17 8:25)
- 硝煙の海 菊池 金雄 8 (編集者, 2013/2/20 7:48)
- 硝煙の海 菊池 金雄 9 (編集者, 2013/2/21 7:34)
- 硝煙の海 菊池 金雄 10 (編集者, 2013/2/22 8:49)
- 硝煙の海 菊池 金雄 11 (編集者, 2013/2/26 9:13)
- 硝煙の海 菊池 金雄 12 (編集者, 2013/2/27 7:40)
- 硝煙の海 菊池 金雄 13 (編集者, 2013/2/28 9:41)
- 硝煙の海 菊池 金雄 14 (編集者, 2013/3/1 8:16)
- 硝煙の海 菊池 金雄 15 (編集者, 2013/3/2 7:37)
- 硝煙の海 菊池 金雄 16 (編集者, 2013/3/4 6:35)
- 硝煙の海 菊池 金雄 17 (編集者, 2013/3/5 8:05)
- 硝煙の海 菊池 金雄 18 (編集者, 2013/3/6 7:52)
- 硝煙の海 菊池 金雄 19 (編集者, 2013/3/7 8:13)
- 硝煙の海 菊池 金雄 20 (編集者, 2013/3/8 8:00)
- 硝煙の海 菊池 金雄 21 (編集者, 2013/3/9 7:31)
- 硝煙の海 菊池 金雄 22 (編集者, 2013/3/10 7:06)
- 硝煙の海 菊池 金雄 23 (編集者, 2013/3/11 8:15)
- 硝煙の海 菊池 金雄 24 (編集者, 2013/3/12 7:33)
- 硝煙の海 菊池 金雄 25 (編集者, 2013/3/13 8:08)
- 硝煙の海 菊池 金雄 26 (編集者, 2013/3/14 8:00)
- 硝煙の海 菊池 金雄 27 (編集者, 2013/3/15 7:53)
- 硝煙の海 菊池 金雄 28 (編集者, 2013/3/16 8:43)
- 硝煙の海 菊池 金雄 29 (編集者, 2013/3/17 8:39)
- 硝煙の海 菊池 金雄 30 (編集者, 2013/3/19 8:22)
- 硝煙の海 菊池 金雄 31 (編集者, 2013/3/20 8:21)
- 硝煙の海 菊池 金雄 32 (編集者, 2013/3/22 7:24)
- 硝煙の海 菊池 金雄 33 (編集者, 2013/3/24 6:49)
- 硝煙の海 菊池 金雄 34 (編集者, 2013/3/26 6:45)
- 硝煙の海 菊池 金雄 35 (編集者, 2013/3/27 7:36)
- 硝煙の海 菊池 金雄 36 (編集者, 2013/3/28 7:26)
- 硝煙の海 菊池 金雄 37 (編集者, 2013/3/29 7:59)
- 硝煙の海 菊池 金雄 38 (編集者, 2013/3/30 7:59)
- 硝煙の海 菊池 金雄 39 (編集者, 2013/4/1 7:25)
- 硝煙の海 菊池 金雄 40 (編集者, 2013/4/3 6:44)
- 硝煙の海 菊池 金雄 41 (編集者, 2013/4/4 8:00)
編集者
居住地: メロウ倶楽部
投稿数: 4298
2 緒戦の海
恵昭丸、海軍徴用船となる
航空ガソリン輸送
昭和十六年八月施行の「戦時海運管理要綱」に基づき、同月恵昭丸は海軍徴用船となり、横須賀鎮守府に配属になった。
開戦直前には南洋群島方面へ、ドラム缶入りの航空ガソリンの輸送任務に従事した。当時これらの島々には海軍機が多数配備され、まるで開戦さながらのように飛び回っていた。この群島には大型船の荷役設備がないため、荷揚げ作業が長びき生鮮食料が枯渇気味となり、マーシャル諸島のケゼリン(クワンジェリン)環礁では釣り上げた南海の魚で栄養補給につとめた。約一ヵ月後やっと揚げ荷が完了し、横須賀へ帰航の途についた。
「付記」
南洋群島の日本海軍航空基地:
下記Webによると、開戦時に南洋群島の島々に完成した陸上航 空基地は9箇所、水上航空基地は10箇所であったとのことである。
参照Web http://www.kaho.biz/main/nanyo.html
ところが入港の前夜(昭和十六年十二月七日)東京湾口で触雷した貨物船からSOSが発信された。
誰も翌日開戦するなど知る筈もなく、一体日本海軍がどうなっているかと不審が高まったのは当然である。 不思議なことに、このSOSは尻切れになってしまった。おそらく海軍も大慌てしたことと思う。
翌朝(昭和十六年十二月八日)、開戦のラジオ放送があり、横須賀港の水路を海軍の内火艇がジグザグに先導した。
これは昨夜のうちに海軍が防潜策を行ったためであったろう。