硝煙の海 菊池 金雄 40
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編集者
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魔のバシー海峡突破
約一ヵ月後の深夜、突然の指令で海軍の徴用船、和洋丸(約三千トン)で台湾の高雄まで便乗することになった。
十二月一日午前十時半頃--和洋丸・萩川丸の二隻船団は、三隻の護衛艦に守られてマニラ港をあとにした。
そして、翌日の午後三時頃--船団はサンフェルナンド港に仮泊--十二月三日朝、高雄向け抜錨した。
敵は、日本の重要なシーレーンであるバシー海峡に多数の潜水艦を配備して虎視眈々と獲物をねらっているものと推測された。
北上してまもなく、北よりの季節風が強まり--船団の速力は十ノット(時速十九Km)から三ノット(時速六Km)に落ちた。
翌四日も荒天--各船は終日難航した。その夜和洋丸は、バシー海峡中央部にある、サブタング水道に辛うじてすべり込み仮泊した。しかし僚船萩川丸と護衛艦を見失なってしまった。
終夜--僚船と護衛艦を待ったが遂に合流できず、荒天のためか、または敵襲で消えたものか分からなかった。
十二月六日午前七時半--和洋丸船長は悲壮な決断。単独で魔のバシー海峡突破を強行しなければならなかった。
ただ一つの頼みの綱--高雄海軍基地からの航空機による支援--接触できなかった。
午後になって、北西の季節風がしだいに強まる--夕刻には風速二十メートル以上の暴風雨--速力が五ノット以下になった。
敵潜側は、荒天下の攻撃は至難であったものか、幸運にも和洋丸は敵の網をくぐりぬけ--十二月七日午前十時無事高雄に入港することができた。 (海上平穏なとき、和洋丸船内に「浜辺の歌のメロデーが流れる--以来この曲を耳にすると、魔のバシー海峡がまぶたに浮かぶ」)