硝煙の海 菊池 金雄 35
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編集者
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ニワトリも受難
本船は、直撃弾でなく至近弾で亀裂浸水したので、幸い漏油が少なかった。
付近海面には船上の浮遊物が散乱――賄部員が卵をとるため飼っていた鶏が、木箱の上で途方に暮れていた! が、船員たちも生死のはざまで、なすすべもなかった。(後年この被弾を考察してみると――船体が溶接施工の脆弱な造りのため――至近弾で簡単に船体が亀裂したことが、全員脱出に幸いしたようにも考えられる)。
僚船が救出
僚船の共同丸は、船尾に野砲を備えていたので、敵機の攻撃から逃れられたかも知れない。該船は一時雲隠れしたが、敵機の退去確認後やっとわれわれを救助し、すぐ入浴させ温かく保護してくれた。
当然全員は着の身着のままで、私はマニラで買った半袖と半ズボン(古い作業ズボンの活用)姿だった。命の恩人である僚船の友情は終生忘れるこができない。
○ 著者付記
(1)昭豊丸の沈没位置は、仮泊地点とコロン湾避難コースから、概略 北緯11-00 東経120-00 付近であると推定される。
(2)同船の沈没地点が南シナ海と表示している文献があると指摘されたので、その出所を追跡結果、アメリカ側の記録(Navy F4Us sink Japanese auxiliary submarine chaser Cha 62 north of Palaus. Other Japanese casualties include auxiliary submarine chaser Cha 52 sunk at Palau, 07°30'N, 134°40'E; and merchant tanker Shoho Maru sunk by USAAF aircraft in South China Sea, 11°18'N, 114°50'E.)であることが判明しましたが、事実は(1)に相違ないことを当事者の一人として証言する。(本件は、福島県の元同僚も同意済み)
(3)戦死者については本書に記した二名(船員一 海兵一)が爆沈時犠牲になったことは間違いないが、事後大同海運の記録に五名戦死とあったので、殉職船員顕彰会に確認の結果「S20.6.28台北で機関部員一名戦没。S20.7.28ルソン島で甲板部員2名戦没」との回答があったので、前記同僚に確認結果。台北の一名は帰国時、高雄で一名が病気入院しているので同人と推定されこと。また、ルソン島の二名はマニラで暁部隊に徴集された四名グループと思われるが、大同海運の記録との不合は、同社が他社と合併したため解明することはできなかった。