硝煙の海 菊池 金雄 37
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須磨艦隊のスリガオ海峡退避行動
志摩艦隊は西村艦隊の2時間後にスリガオ海峡に到着した。この際魚雷艇の攻撃を受け軽巡阿武隈が被雷した。3時25分、志摩艦隊は戦闘序列で突入を開始したが、旗艦の那智が最上を炎上停止した敵艦と誤認して転舵、8ノットで動いていた最上と衝突した。敵情が不明であるのと味方の惨状をみて、突入を断念、海峡外で様子を見ることにして退避をはじめた。
4時10分、オルデンドルフ少将は同士討ちの報告を聞いて砲撃を中止させた。巡洋艦と駆逐艦は残敵の掃討と救助活動をするべく南下を開始した。
当初は多数の生存者が海面を漂っていたが、大半が米軍の救助を拒否して自決、または近くの島に上陸した少数の生存者も丸腰だったため殆どが原住民の襲撃により殺害され、生存者は沈没した全艦合わせて10数人だった。特に最初に大爆発を起こした戦艦扶桑は、艦長以下1637人全員が戦死し、生存者は1人もいなかった。
阿武隈の護衛に駆逐艦潮を派遣してマニラへ向かわせ、最上には駆逐艦曙を護衛にあたらせてコロン湾に避退するよう命じたが、最上はその後空襲を受け最終的に乗員の退艦後、曙の魚雷で処分され、翌日の11時28分、阿武隈もアメリカ陸軍機の空襲を受けて沈没した。志摩艦隊の本隊である、那智、足柄、霞、不知火は何度か空襲を受けたものの、損失艦なくコロン湾に到着した。不知火を栗田艦隊の駆逐艦早霜の救援に送ったが第38任務部隊の空襲で撃沈された。