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硝煙の海 菊池 金雄 28

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通常 硝煙の海 菊池 金雄 28

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/3/16 8:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 近海航路の第二大源丸(だいげんまる)

 北支~九州航路

 私は社命により高瑞丸を下船して半月後の昭和十八年七月十三日に第二大源丸(一九九九トン、乗組員約四十名)に無線局長として乗船した。

 今まで遠洋の大型船に乗っていたので、小型貨物船は初体験であった。

 就航先は主に北支(中国北部沿岸)と九州間の石炭輸送で、小さな港にしばしば出入するので出費が増えてしまった。

 次席通信士は年長の久保氏で、実務を如才なく処理してくれたので大助かりだった。

 エンジンはレシプロ式で、酷熱の機関室では火夫たちが玉のような汗を流しながら石炭を焚き、夜になるとアース(石炭灰)を機関室からチェーンブロックで「がらがら」と吊り上げて海面に投棄していた。

 このエンジンはディーゼルエンジン船にくらべると機関音が静かなのに、対象的にこの作業の騒音が妙に気になった。

 私は、この船で戦火のおよばない平時なみの航海を、大いに楽しむことができたように思う。


 第二大源丸(一九九九総トン)の最後

 (元大同海運所属・当時の所属 大洋興行)
 昭和二十年六月十日 空船で伏木を出港し、石炭搭載のため小樽向け単独で八ノットの速力で航行中、同日〇二四〇頃 N四三‐二六 E一四〇‐三六(北海道積丹岬北東十七粁付近)において、濃霧の海上で敵潜水艦の雷跡を右舷一四〇度三〇〇米に発見し、直ちに転舵したが三本中二本が機関室に命中、大爆発して急速度で沈没した。警戒隊員八名、船員三十八名、外八名戦死。

 出典『戦時船舶史』駒宮真七郎

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