硝煙の海 菊池 金雄 25
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編集者
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マニラ湾に仮泊
ジャワ島からの帰路、マニラ湾に仮泊したことがあった。港外はうねりがあり、海軍の機動艇移乗はタラップ(舷梯)でなくジャコップ(縄梯子)を使用した。
うねりで上下する起動艇に飛び下りるタイミングが大変で、上陸をあきらめる者もいた。
当時各輸送船には海軍の警戒隊員(輸送船装備の武器を取り扱う兵隊)が乗船し、彼らと船員がそれぞれ仲良く上陸した。
私もマニラは初めてなので仲間と上陸、常夏の繁華街をぶらついた。
ここはアメリカナイズの色濃く、派手な衣類や日用品等が店々にあふれ、現地女性の強烈な香水が鼻をついた。
私はここでジレットの安全カミソリを買った記憶がある。
市街にはほどよく街路樹があり、マニラ湾も絶景で南国のオアシスのように感じた。
船内刺殺事件発生
帰船する機動艇に乗り合わせた一人の酒に酔った海兵が、ジャコップ飛びつきに失敗して海に落ち、ずぶぬれのまま何の不満か司厨長室にどなり込む気配があった。
司厨長はとっさに片手に柳包丁を持ち、ドアを内部から抑えていたが腕力でドアを開け、途端に海兵は柳包丁に自分からのしかかり、運悪く即死するという突発事故が起きてしまった。
司厨長は「殺すつもりはなかった」と遺体に泣きくずれた姿は哀れであった。
この海兵の不満の原因は、海兵側の軍票(戦地、占領地で軍が正貨に代えて発行する紙票)交換で事務長に不信があったらしく、司厨長の所掌外のことを誤解していたものと推察された。
こともあろうに軍属が軍人を刺殺した形となったので、船長は経緯を詳しく軍に説明し、穏便な処理を要望したことは当然である。
しかし残念ながら彼は拘束され、軍法会議に付されることになってしまった。
彼は人柄もよくメニューも好評で、船側としては実に痛恨にたえない事件であった。
当時、蘭印方面の航路は時々敵潜が出没する程度で、海兵たちは通常訓練と見張りが主で、船員からみると、なかば徒食しているようにも見えた。
彼らと船員との仲は親密であったものの、手持ちぶたさから内心何か鬱積したものがあったのかも知れない。 本件処理は戦時下とはいえ、船員側としては甚だ遺憾にたえないものがあった。