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 旅行記   2015.1.1更新

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  • [No.4941] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/28(Wed) 15:35
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    画像サイズ: 500×383 (38kB)
    > 岡山に着きました。

    ここで
    「サンライズ瀬戸」と「サンライズ出雲」は別れ
    それぞれ
     高松、出雲市に向かいます。

    私はここで降ります。


    [No.4940] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/28(Wed) 15:30
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    画像サイズ: 500×375 (26kB)

    岡山に着きました。


    [No.4939] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/28(Wed) 04:04
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    画像サイズ: 500×375 (22kB)
    > 姫路まできました。

    > 岡山までもう少し。

    もう起きて降りる支度をしている人もいます。


    [No.4938] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/28(Wed) 04:00
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    画像サイズ: 500×375 (26kB)
    姫路まできました。

    岡山までもう少し。


    [No.4937] 続・東ドイツ紀行 27  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/27(Tue) 07:39
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    画像サイズ: 320×309 (90kB)
     プーヘンヴアルト収容所に行かなかったわけ

     もうひとつのワイマールにおける必見の地、ナチスのユダヤ人収容所には行かなかった。時間がなかったからではない。今度の旅行はまったくの個人旅行なので、この6日間どこでなにをみるか、これをすべてきめるのは私自身なのだから。理由は恐ろしかったからだ。暴君ネロやキリシタン殉教の史跡ならばだいぶ風化しているからまだしも気が楽である。しかし、これは私が生まれてから後の、当時の同盟国でのなまなましいできごとだ。卑怯かもしれない。でも、これに直面する勇気は私にはなかった。

     重々しい車内の雰囲気

     このあとは、ライプツィヒ経由でドレスデンヘいく。雨は上がっていた。列車がまた遅れた。
     ライプツィヒでドレスデン行きのホームにいってみると何やら異様な空気がただよっている。兵士、兵士、ものすごい人数の兵隊さんが広いホームを埋め尽くしている。そのうえ、まだまだ階段からあがってくる。皮の長靴をはいてカーキー色の制服をきて、おなじカーキー色のザックと毛布を背負っている。ホームの両側に5メーターおきぐらいに将校らしいひとが立って鋭い目つきであたりを見張っている。列車がはいってきた。今日の列車はコンパートメントでなくサロンカーである。なるべく兵隊さんたちの乗らない車両をさがして乗る。それでも、通路の反対側の席は将校で一杯だ。私の前の席もそうだ。いつもの癖で「この列車はドレスデンヘいきますよね」といった。向かいの軍人はガラスのような目でちらっとこっちをみたがなんにも答えなかった。シラッとした重々しい空気が車内に漂った。隣の奥さんがあわてて「ええ、いきますよ」と答えた。私の隣の若い男の人は読みかけの新聞から目をあげない。ちらっとみたらどうやらチェッコの新聞らしい。いままでいつも車内を覆っていたほんわかムードはここにはない。将校のひとりがペーパーバックを読んでいる。ちらっとみるとロシア語だ。しかも、表紙には英語でCIAとかかれている。背筋に冷たいものが走った。と同時にすべてが理解できた。彼らはロシア兵なのだ。ドレスデンはポーランドにもチェコにも近い。おそらく、ポーランド国境警備に向かう一隊なのだろう。とかくもめごとの多いポーランドで何かあれば、ソ連と東ドイツの両側からはさみ打ちするつもりか。彼らはドレスデンのひとつ手前、レスデンノイシュタットで降りた。 
     ざっく、ぎっく、ざっく という軍靴の昔が重いリズムを刻む。これから行くドレスデンが今度の戦争で壊滅的な被害をうけたときいているだけに、余計、この軍靴のリズムが耳に残った。あの音を聞くと子どもの時に戦争を経験している私にはアタマの上に重しがのしかかるような気分になる。
     (写真は、戦後建てられたと思う巨大な安普請の住宅)


    [No.4936] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/27(Tue) 05:19
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    画像サイズ: 400×300 (20kB)
    > 東京駅から夜行列車に乗って
    > 岡山に移動します。

    横浜を通過します。
    寝台車の中で横になって休む人がいる一方
    電車を待っている人たちの姿。

    まだ夜はこれから。


    [No.4935] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/26(Mon) 14:12
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    画像サイズ: 500×375 (22kB)
    > 立派な寝台車の特急列車ですが
    > 「ノビノビ座席」(520円)という
    > 座席指定のカーペット列車がついていて これがおすすめです。

    >  座席は上下二段となっています。

    こちらは上段の席です。


    [No.4934] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/26(Mon) 14:08
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    画像サイズ: 500×375 (26kB)
    > 東京駅から夜行列車に乗って
    > 岡山に移動します。

    立派な寝台車の特急列車ですが
    「ノビノビ座席」(520円)という
    座席指定のカーペット列車がついていて これがおすすめです。

      座席は上下二段となっています。

    つまり
    ドミトリー式簡易寝台車ですね。

    こういうドミトリー式の簡易寝台車は
    青森発札幌着の夜行列車、急行「はまなす」
    にもついていました。

    それは、「のびのびカーペット列車」といっていました。

    函館新幹線開通とともに、この急行「はまなす」はなくなってしまいました。


    [No.4933] 続・東ドイツ紀行 26  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/26(Mon) 06:54
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    画像サイズ: 535×513 (93kB)
     さて、私がワイマールで何を見学したかについて書きます。
     例のホテルの8マルクの朝食を済ませ、まず、ゲーテパークを訪れました。ホテルのすぐ裏手なのですが、街の喧操(もともと静かな街ではありますが)をまったく感じさせない公園です。イルム川をはさんで緑の散歩道がつづいています。
     川のむこうにはゲーテ山荘があります。日本の公園のようにビルやネオンがみえたりはしないのです。深山幽谷にいるよう。そのうえ、ずいぶんと大きな公園です。
     ここから住宅地を通って「ゲーテとシラーの墓」へ。神社の鎮守の森のようにこの廟も森の奥深くにあります。広い公園の清々しい朝。柔らかい緑の木々。1824年から24年の歳月をかけて作られたという納骨堂にお参りしました。朝早いためか他にだれも参詣人がいないので、うすら寒くて暗くしめっぽい地下の納骨室に一人で降りていきました。大きな石の棺がふたつ、少し間をおいて並んでいました。なんだか気味がわるくてすぐあがってきてしまいました。入り口の小さなキオスクで絵はがきを買ったら「気持ちが悪かったでしょう」というようなことをいって、おばさんは肩をすぼめていました。この墓地には、ワイマール大公や「ゲーテとの対話」の著者エッカーマンなどのお墓もあります。

     昨日の「ワイマールゆかりの人」には書かなかったのですが(と言うより。この方自身がワイマール物語の主人公ですから)ワイマールが今日あるのは、ここの歴代の領主によるところが大きいのです。
     バッハを招聘したのも、史上最高のスカウトともいうべきゲーテをフランクフルトからはるばるひっぱってきたのも、領主、皇太子という人たちであったといいます。
     話は飛びますがエステルハーツィー公がいなかったらハイドンもシューベルトも困ったにちがいない、現代の云術家はマスコミや大衆に、冷戦時代には社会主義体制というご主人に仕えていたわけです。「メセナという名の旦那?タニマチ?」も、やや安定性を欠いた存在です。こんな「ご主人様」にお仕えするのと、文学や芸術に理解ある殿様に仕えるのとどっちがしあわせでしょうか。
     そんなことを考えながら、次に国民劇場にいきました。ゲーテやシラーの作品が上演されていたばかりでなく「ワイマール憲法」もここで採択された、というワイマールの重要な舞台です。

     ここで、にわかに大雨に。ゲーテの像もシラーの像も放射能の雨にぬれていました。
     広場をぶらぶらしていたひとたちがいっせいに雨宿りをします。慌てている様子が見えました。
     大急ぎで子供にレインコートを着せているひともありました。
     ヨーロッパのひとたちは、普段は、わりに傘をささないと思っていたのに、この日は違いました。これは相当チェルノブイリを意識しているな、と思いました。私も放射能を浴びるのは嫌なので郵便局に駆けこみました。
     もっと、あちこち、見物していたかったのですが、この雨がかなりの放射能を持っているらしいことは、周囲の皆さんの行動でわかったので、なるべく屋内にいることにしました。
     そこでカフェにいき、絵はがきを書くことに。書きあがったハガキを郵便局の窓口に持っていくと、老年の少し手が不自由で発語の不自由そうな窓口氏が45ペーニッヒだといって料金表のヤーパンを指で示しました。 不思議です。前日、エルフルトの郵便局では55ペーニッヒだといったのに。
     しかし、どちらもつつがなく日本へ着いていました。料金改定があったのに、料金表を差し替えるのを失念していたに違いないないです。しかし、その後も、この国のあちこちで、障害者・高齢者が働いている姿はよく見かけました。 しかも職場でも戦力として定着していたように見受けました。この面で、こんなに進んでいる国はなかったのではないかと思います。 お上のお声がかりで、一斉に何かがやれる「全体主義」というのも、悪いことばかりではなさそうです。
     ヘルダー教会だけをみてホテルに戻り、チェックアウトしワイマール駅に向かいました。
     写真は、大公家の墓所。地下の納骨堂に、ゲーテとシラーのお棺があります。次が国民劇場です。


    [No.4932] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/26(Mon) 05:31
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    画像サイズ: 500×375 (28kB)
    いまどき,夜行列車は少なくなりました。

    > 東京駅から夜行列車に乗って
    > 岡山に移動します。

    これは
    山陰エリア・四国エリアと東京を結ぶ寝台特急で
    「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」です。
    二つの特急は東京から岡山まで連結して走り
    そこから先は別れて終点までいくのです。

      ・サンライズ瀬戸 高松〜東京
      ・サンライズ出雲 出雲市〜東京(伯備線経由)


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