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 旅行記   2015.1.1更新

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  • [No.4931] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/26(Mon) 05:23
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    画像サイズ: 500×444 (38kB)
    東京駅から夜行列車に乗って
    岡山に移動します。


    [No.4930] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/25(Sun) 15:10
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    画像サイズ: 500×375 (35kB)
    > イラン・トルコ料理の店です。

    > 昼には何度か来きましたが
    > 夜ははじめてです。

    > 夜にはベリーダンスがあるのです。

    夜店通りの近くです。

    メロウ倶楽部に入ってから
    谷中の散歩オフがありました。(寒梅さん ありがとう)
    そのとき見つけた店です。


    [No.4929] 続・東ドイツ紀行 25  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/25(Sun) 06:31
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    画像サイズ: 538×505 (94kB)
     5月6日(火) 晴れときどきくもり、一時雨

     ワイマールってどんな街

     森本哲郎さんは「ワイマールには、あまりにも多くの歴史が、そして歴史には、あまりにも多くの文化が、文化にはあまりにも多くの作品が、作品にはあまりにも多くの注釈が、注釈にはあまりにも多くの異論が、異論にはあまりにも多くの政治的な立場があり、その立場にはあまりにも多くの悲劇がある」と総括しておられる。そうです。小さな街ですが、大変なな街なのです。
     「ワイマール共和国」「ワイマール憲法」という言葉はおなじみと思います。
    ここは、神聖ローマ帝国時代には、ワイマール公国。この時代には、バッハが宮廷楽長で、ゲーテが政務長官(宰相)いう豪華キャスト。もっとも、宰相と言っても、規模から言えば、藤沢市の市長さん、といったところでしょうか。
     ゲーテは、環境・衛生の向上に熱心に取り組むなど、意外と行政に熱心だったそうです。
     その後、アウグスト公に無期限の休暇を願い出てイタリアへ。しかし出発の時、ゲーテはアウグスト公にも奥さんにも行き先を告げていない。まあ、勝手放題みたいなところがありますね。でも、その後は、なくなるまでワイマールで過ごしました。
     一方、バッハは、その長い音楽家としての第一歩が「ワイマール時代」であったのですね。その後「ケーテン時代」「ライプツィヒ時代」と歩んでいくわけですが、私の想像では、この街でいろいろな刺激を受けたことがその後の音楽活動にいい影響を与えたのだと思います。

     ところで、ワイマールにゆかりのある方で、日本でも知られている方、と言いますと 音楽では、バッハ、リスト、リヒャルト・シュトラウス、ワーグナー、シェーンベルク、アルバン・ベルク、ヒンデミット。美術では、クラーナッハ、カンディンスキー 。文学では、ゲーテ、シラー、トーマス・マン、レマルク、ブレヒト。哲学でしたら、ハイデッガー、いゃ、まだまだ大勢おられるはずです。 観光地としても、見どころいっぱい、そこいらじゅう、世界遺産が散らばっている街なのです。EUから「ヨーロッパ文化首都」にも選ばれています。そのせいか、当時でも、街の中は、きれいで、諸設備もよく整備されていました。

    見聞については、次回書きますね。なお、写真は市内の様子です。


    [No.4928] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/25(Sun) 05:46
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    画像サイズ: 400×300 (21kB)
    > イラン・トルコ料理の店です。

    ここには
    昼には何度か来きましたが
    夜ははじめてです。

    夜にはベリーダンスがあるのです。

    夜行列車に乗る前の時間を利用して来てみたのです。


    [No.4927] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/24(Sat) 15:07
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    画像サイズ: 400×363 (25kB)
    > イラン・トルコ料理の店です。

    室内には民族衣装など飾られてあります。

    駱駝の置物も発見。

    お客が希望したら(民族衣装を着て)駱駝に乗り、写真も撮れるようです。


    [No.4926] 続・東ドイツ紀行 24  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/24(Sat) 06:48
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    画像サイズ: 536×524 (92kB)
     ホテル エレフアント

     全体的には、ホテルは駅に近いところをーーーといって予約してもらったが、ここだけは例外だ。このホテルは古い歴史のあるホテルだから。 開業1696年の名門ホテルなのだ。その昔はゲーテ、シラー、トーマス・マン、バッハ、ワグナー、といった名だたる人物も泊まったり、食事を楽しんだりしたホテル。トーマス・マンの小説「ワイマールのロッテ」で,主人公ロッテが数十年ぶりにゲーテとの再会を果たすためにワイーマールを訪れたときに投宿したとされるのもこのホテルなのてある。
     特に、ゲーテの晩年、ゲーテ先生に一度お目にかかりたいとヨーロッパ各地から当時の文化人が馬車でやってくる。そしてワイマールに着くとまず、マルクトプラッツのホテルエレファントに旅装を解いたという。
     部屋の内装も洗練されたもの。どっしりとした大きなソファなども古いヨーロッパが、そのまま息づいている感じ。
     インターホテルとしてのランクは最低の星3つ。(前夜泊まったエルフルターホフは星4つ、ライブツィヒのメルクワは星5つ)であるが、どうやらこの国でもホテルの星の数は設備で決まるようだ。例えばサウナやプールがあるかどうかなど。

     夕食はホテルのレストラン、ベルベデーレで。パイ皮包み焼きにしたとり。コンソメとシュリンプカクテルのような料理が運ばれてきた。本人は半分当てずっぽうで注文しているので、なんの料理か食べてみるまで確とわからない。ところがコンソメスープを一口すって「うむ、おぬし、なかなかやるな」と思った。なんとも上品な味である。さすが、古い文化を誇る街にはおいしい料理がある。食事代はビール、デザート、チップまで含めて3千円弱であった。(当時の東ドイツとしては「けっこうなお値段である」)


    [No.4925] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/24(Sat) 05:20
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    画像サイズ: 500×375 (31kB)
    > 夜行列車まで時間があるので
    > これから、ある所に行きます。

    イラン・トルコ料理の店です。

    ナンとライス(インディカ米)が出ます。 おかわり自由です。(そんなに食べたらあとが大変)

    味付けはマイルドなので日本人向きです。


    [No.4924] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/23(Fri) 12:44
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    画像サイズ: 300×400 (16kB)
    スカイツリーに灯りがともりました。

    夜行列車まで時間があるので
    これから、ある所に行きます。


    [No.4923] 続・東ドイツ紀行 23  (1986年) 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/09/23(Fri) 07:35
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    画像サイズ: 537×520 (94kB)
     国鉄の乗車券について

     日本でホテルの予約をしたとき「鉄道の切符も手配してあります」といわれた。このときは多分、フリー切符か周遊券のようなものが用意してもらえるのだろうと思った。
     ホテルのクーポン券を受け取るとき、このことをたずねるとあんまり要領を得た答えがなかったので、あっちにいけばわかるだろうとそのままにしておいた。
     前日、ホテルエルフルターホフのフロントで「ライゼビューロー(国営旅行社)からです」という封筒を渡された。なかには普通切符が一枚と手紙がはいっていた。切符はエルフルトからドレスデン迄で、手紙には多分、「この切符でワイマールには途中下車できます。ドレスデンから先の切符はあちらで用意しております」。と書いてあったにちがいない。
     というのは、ドレスデンのホテルでもチェックインのときに同じように次の目的地までの切符と手紙を渡されたから。それにしても、ここのライゼビューローは仕事がしっかりしているしインターホテル(外国人が宿泊してもいいホテル)との連携プレーも見事だ。
     という訳でエルフルトから先は切符をいちいち買う必要はない。(しかし「親切で仕事きっちり」なので別に文句を言う筋はないが、最初にまとめて6日分の切符を渡しておくほうが、先方も仕事が減っていいのにな、とも思った。やはり誰かが西側の行動を監視するためだったのではないかと勘ぐっている)

     ″親切″の街、ワイマール

     アイゼナッハから再びエルフルトを通って約50分でワイマールに着いた。ここだけではないが列車の乗り降りはホームにいるひと、車内のひとの完全な助け合いですすめられる。荷物を受け取ってあげるひと、こどもを抱きとってあげるひと、お年寄りに手を貸してあげるひとなど。旅行者に親切なだけでなく、お互い同志も助けあっているように見えた。(後刻、例の友人から聞いた話では、何かにつけて、辛い大変な時代を過ごすうちに「助け合い精神」が育まれたのでは、とのことであった。現在でも「あの時代」を懐かしむ年寄りがいるという)
     この駅は街から少し離れているのでバスを利用する。例によってバス券売り場さがし、乗り場さがしでうろうろする。ところが、この街のひとは特に親切で切符をくれるひと、これを断るとキオスクまでついてきて切符が買えるように世話をしてくれるひと、マルクトプラッツ方面に行くバスの乗場までついてきて、車内のひとに郵便局前で降ろしてやってくれとたのんでくれるひと、バス停からマルクトプラッツまでついてきてくれるひとなどなど、とにかく親切なひとばかりで恐縮してしまう。
     (写真は、ワイマールのマルクトプラッツとその近辺、それと、くだんの切符です)


    [No.4922] (1)佐賀までの旅 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/23(Fri) 05:36
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    画像サイズ: 450×452 (39kB)
    > ということで
    > 浅草まで歩いてみることにしました。

    もはや浅草名物となった人力車
    若い男たちが車をひいています。


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