Re: イレギュラー虜囚記(その2)
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イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/8 22:02)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/8 22:08)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/9 14:38)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/9 14:44)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/9 14:56)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/13 15:57)
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Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/8 22:08)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/13 16:19)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/13 16:25)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/16 12:40)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/16 12:47)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/16 12:51)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/16 12:58)
- Re: イレギュラー虜囚記(その2) (あんみつ姫, 2007/12/16 13:05)
あんみつ姫
居住地: メロウ倶楽部
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世界的大泥棒
連日到着する貨物列車は当初、原木や建材、セメント袋、鉄帯締めの製紙用パルプ、豆粕、大豆袋など重量物が主だったが、やがて工場設備や小型機械類、有刺鉄線、馬具などに変り、年が明けると、在滞日本人の家具類や衣服などの生活物資になつてきた。
テーブル、椅子、電気スタンド、ラジオ、電球にポータブル蓄音機、虎造の浪花節レコードから漢詩の掛け軸、絹の黒羽織に赤い腰巻(ソ連領に入ったらプラトークになっていた)、ライオン粉歯磨 (粒子が細かいのでお白粉代わり)などなど、よくもこれだけと感心するほど徹底的に掻っさらってくる。
大小便器に煉瓦の屑は建築の基礎穴に放り込むとか。豊満ダムの大発電機から赤い腰巻きまでとは誠に恐れ入った大盗人である。
ところが、これで終わらないのが、わがソビエト社会主義共和国連邦である。家財一式が終わったと思ったら、内臓抜きの冷凍豚列車が到着し始めた。有蓋貨車に豚がぎっしりの三十輌連結が毎日入ってくる。
三月に近づくと豚が段々小さくなり、遂に仔豚の冷凍まで現れた。これでは満洲の豚種がなくなるのではと心配になった。一体、どこからこんなに集めてくるのかと不思議に思っていたら、ヒリモーノフと街へ出た時に分った。
一月頃から琿春でも真赤なソ連軍票が大勢を占め、日本の十円紙幣は露店でも受け取らなくなった。
この時ばかりはしみじみと敗戦の惨めさを感じたが、ソ連はこの軍票で満人から強制的に豚を買い上げているらしい。四月末に、ソ連軍が我々最終在満捕虜を引き連れて、「満洲を解放する」と称して引き揚げた後は、裏付けのない紙屑の軍票が残っただけ。満人の恨みは骨髄に達しただろう。
ラーゲリの日々
駅の労働が一定化し、ダモイも翌年に持越しと諦めがつくと、ラーゲリ内では紙製の将棋や碁が流行り出した。
将棋は田中少尉が滅法強く、碁は大山副官が師匠格。将来は社交ダンスも必要とばかり、二〇九のソ軍本部当番の満映の小田助監督に一番易しいブルースから習い始めたが、音楽がないとさっぱり面白くなく短期で終ってしまった。
ヒリモの部屋に電々ラジオがあるので時々聴きに行くが、音楽番組ばかりだ。在満放送はソ連の管轄下にあり、日本内地のニュースは入らない。
ある夜、ラジオを聴いていたらヒリモが酔払って帰って来て、「済まんが部屋を空けてくれ。女を連れてきた」と言う。
入ってきたのは日本人だ。下はモンペ、上は洋装で毒々しい化粧をしている。女は日本の軍人がいるとは思っていなかったらしくハッとした様子だったが、「煙草の煙がひどいこと」とか言いながら、悠々と寝台に腰を下ろす。最後になると女は強い。
外へ出ると、ロスケの歩哨が「俺たちにも女を回してくれるだろうか」と聞く。「そんな事知るか。中尉にきけ」と大いに腹を立てたが、情無い話だ。
それ以来、度々日本女性が来るようになった。一晩泊ると、夕食、朝食と米を一升ほどもらえる。商売女のみならず、意志の弱い一般婦人らしいのも来る。
駅の近所に、浦塩帰りのカーチャと呼ばれる日本人の小母さんが、ロシヤ語が分かるので強制的に仲介をやらされているとのこと。
二一一本部はヒリモと別棟だが、二〇九は紙障子一枚の隣り合せだから大変だ。来る方も大変。声高に奥さん奥さんと呼び合いながら隣に来た二人連れが急に静かになる。こちらも声を潜めて悲哀を噛みしめる。
当番の小田が女の食事も運ぶが、少佐夫人だとヌケヌケ言って彼に殴られた女もいる。散髪屋の朝鮮人マルーシャは、少ない単語でうまくロシヤ語を喋る。時々日本側へ悠々と入って来て我々を慰めてくれるのだから恐れ入る。
満人の細君になっている人も多いようだ。駅の作業場でも満人の婆さんと日本人らしい大々が来る。我々は顔を見ないように気を付けているが、中にはどこそこの奥さんはまだ片づいていないなどと、暗に満人の嬶になるのがいいようなことをいう女もいる。ソ連将校の臨時妾もいる。敗戦とは情無いことである。
二十一年の三月頃になると、日本人経営のカフェーやダンスホールが出来て、派手な衣裳の女が街に現れるようになった。男は大抵満人に雇われての肉体労働だ。
居留民団が寺院の建物を宿舎にしており、入口に 打倒日本帝国主義」とある。我々軍人を非難しているようで気持がよくない。本堂にぎつしり詰まっている人々は皆痩せ細って青い顔をしている。五歳くらいまでの子供は大分死んだらしい。
駅に一人ぼっちでいた五つくらいの女の子をラーゲリに連れてきて、中年の連中がパンツやシャツを手縫いして可愛がっていたのを、ソ側が見つけて我々本部に文句がきた。入ソする際にも連れて行くと兵隊さんたちは頑張っていたがとうとう居留民団に引渡した。親を失いオドオドした大人しい子だった。何とも哀れ。
(つづく)
連日到着する貨物列車は当初、原木や建材、セメント袋、鉄帯締めの製紙用パルプ、豆粕、大豆袋など重量物が主だったが、やがて工場設備や小型機械類、有刺鉄線、馬具などに変り、年が明けると、在滞日本人の家具類や衣服などの生活物資になつてきた。
テーブル、椅子、電気スタンド、ラジオ、電球にポータブル蓄音機、虎造の浪花節レコードから漢詩の掛け軸、絹の黒羽織に赤い腰巻(ソ連領に入ったらプラトークになっていた)、ライオン粉歯磨 (粒子が細かいのでお白粉代わり)などなど、よくもこれだけと感心するほど徹底的に掻っさらってくる。
大小便器に煉瓦の屑は建築の基礎穴に放り込むとか。豊満ダムの大発電機から赤い腰巻きまでとは誠に恐れ入った大盗人である。
ところが、これで終わらないのが、わがソビエト社会主義共和国連邦である。家財一式が終わったと思ったら、内臓抜きの冷凍豚列車が到着し始めた。有蓋貨車に豚がぎっしりの三十輌連結が毎日入ってくる。
三月に近づくと豚が段々小さくなり、遂に仔豚の冷凍まで現れた。これでは満洲の豚種がなくなるのではと心配になった。一体、どこからこんなに集めてくるのかと不思議に思っていたら、ヒリモーノフと街へ出た時に分った。
一月頃から琿春でも真赤なソ連軍票が大勢を占め、日本の十円紙幣は露店でも受け取らなくなった。
この時ばかりはしみじみと敗戦の惨めさを感じたが、ソ連はこの軍票で満人から強制的に豚を買い上げているらしい。四月末に、ソ連軍が我々最終在満捕虜を引き連れて、「満洲を解放する」と称して引き揚げた後は、裏付けのない紙屑の軍票が残っただけ。満人の恨みは骨髄に達しただろう。
ラーゲリの日々
駅の労働が一定化し、ダモイも翌年に持越しと諦めがつくと、ラーゲリ内では紙製の将棋や碁が流行り出した。
将棋は田中少尉が滅法強く、碁は大山副官が師匠格。将来は社交ダンスも必要とばかり、二〇九のソ軍本部当番の満映の小田助監督に一番易しいブルースから習い始めたが、音楽がないとさっぱり面白くなく短期で終ってしまった。
ヒリモの部屋に電々ラジオがあるので時々聴きに行くが、音楽番組ばかりだ。在満放送はソ連の管轄下にあり、日本内地のニュースは入らない。
ある夜、ラジオを聴いていたらヒリモが酔払って帰って来て、「済まんが部屋を空けてくれ。女を連れてきた」と言う。
入ってきたのは日本人だ。下はモンペ、上は洋装で毒々しい化粧をしている。女は日本の軍人がいるとは思っていなかったらしくハッとした様子だったが、「煙草の煙がひどいこと」とか言いながら、悠々と寝台に腰を下ろす。最後になると女は強い。
外へ出ると、ロスケの歩哨が「俺たちにも女を回してくれるだろうか」と聞く。「そんな事知るか。中尉にきけ」と大いに腹を立てたが、情無い話だ。
それ以来、度々日本女性が来るようになった。一晩泊ると、夕食、朝食と米を一升ほどもらえる。商売女のみならず、意志の弱い一般婦人らしいのも来る。
駅の近所に、浦塩帰りのカーチャと呼ばれる日本人の小母さんが、ロシヤ語が分かるので強制的に仲介をやらされているとのこと。
二一一本部はヒリモと別棟だが、二〇九は紙障子一枚の隣り合せだから大変だ。来る方も大変。声高に奥さん奥さんと呼び合いながら隣に来た二人連れが急に静かになる。こちらも声を潜めて悲哀を噛みしめる。
当番の小田が女の食事も運ぶが、少佐夫人だとヌケヌケ言って彼に殴られた女もいる。散髪屋の朝鮮人マルーシャは、少ない単語でうまくロシヤ語を喋る。時々日本側へ悠々と入って来て我々を慰めてくれるのだから恐れ入る。
満人の細君になっている人も多いようだ。駅の作業場でも満人の婆さんと日本人らしい大々が来る。我々は顔を見ないように気を付けているが、中にはどこそこの奥さんはまだ片づいていないなどと、暗に満人の嬶になるのがいいようなことをいう女もいる。ソ連将校の臨時妾もいる。敗戦とは情無いことである。
二十一年の三月頃になると、日本人経営のカフェーやダンスホールが出来て、派手な衣裳の女が街に現れるようになった。男は大抵満人に雇われての肉体労働だ。
居留民団が寺院の建物を宿舎にしており、入口に 打倒日本帝国主義」とある。我々軍人を非難しているようで気持がよくない。本堂にぎつしり詰まっている人々は皆痩せ細って青い顔をしている。五歳くらいまでの子供は大分死んだらしい。
駅に一人ぼっちでいた五つくらいの女の子をラーゲリに連れてきて、中年の連中がパンツやシャツを手縫いして可愛がっていたのを、ソ側が見つけて我々本部に文句がきた。入ソする際にも連れて行くと兵隊さんたちは頑張っていたがとうとう居留民団に引渡した。親を失いオドオドした大人しい子だった。何とも哀れ。
(つづく)
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あんみつ姫