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Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/16 12:58
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
  クラスキノからスラビヤンカヘ

 クラスキノ《ロシア沿海州最南端の港町-》も二月に糧秣受領に来たときは寒々とした感じの街だったが、今日は如何にも春らしく、仕事から帰る娘たちの軽やかなスヵート姿に心が和む。しかし、建物が何ともお粗末。
四年間の独ソ戦のせいだけではないようだ。レーニン、スターリンの真白い像がチグハグ。

 先発本隊はクラスキノ駅付近に集結していたが、トタンは二〇九に取られて二一一は半数が野宿。本部は九五式大型天幕で、自分の席は取ってあった。二〇九にトタンをせしめられて田中主計が加藤隊長に絞られていた。

 夜は相当冷え込む。朝は濃い霧に包まれる。海が近いためか。駅には食糧、馬糧、被服、日本軍の兵器、薬品箱、工場資材等が山をなしている。北朝鮮からも大量に持ち込んだとのこと。
ソ連の貨車は赤色木造の半分ひしゃげた十人屯四輪車。よく見ると独逸から取り上げたもので、満鉄の八輪鋼製四十屯貨車に比べると全くお粗末。独逸も大分因っていたようだ。

機関車は手入れが良くピカピカ。大事に扱っている。女の機関手がいる。大きくて真黒で、胸の膨らみでやっと分かる。助手も線路工夫も頑丈な女たちだ。これだと銃後の守りも安心だろう。

 駅に消毒入浴車が常駐していて入ソする日本兵を素裸にして消毒する。係員は女。若い娘たちが腕を組んで、並んでいる我々の前を通りながら品定めする。誠に大らかなものだ。

 五月一日メーデー。クーロフの指示で舞台を作り演芸大会。一方、琿春到着の翌日分遣した一中隊、四中隊は貨車の積込作業をしている。不公平な扱いだ。
隊長の久松中尉によれば、琿春から十日ごとに送ってやった糧秣は殆んど横流しされ、この半年間はソ側食糧を命がけで掻っ払って食いつないでいた由。

ソ軍の押収糧秣は肉塊も含め一山ごとに歩哨一人が監視しているので、掻っ払って逃げ出しても追いかけて来ず、自動小銃を乱射するだけ。追いかけて山を留守にすれば、日本側はおろか、ソ軍の他部隊にもごつそり持って行かれる。弾丸除けに肉塊を頭に担いで匍匐《ほふく=腹ばい》する。

 分遣隊のソ側隊長は、当番の日本兵が誤ってソ連兵の唇に斧で少し傷付けたのを口実に銃殺にした男だ。食糧横流しを喚ぎ付けられたからだと言われている。
その日本兵は射撃場に引き出された時、俺は実は特攻隊の将校だ。潔く殺されてやると啖呵を切ったそうだ。
もっとも、中尉の奴はメチルを飲んで、部下十四人も枕を並べて死んだ。我々一同大いに天罰に感謝した。

 クラスキノ駅では一度だけ流刑列車らしいのが到着した。貨車には家族らしい男女がすし詰め、屋根の上に手の甲に数字の入墨をした坊主頭の元兵隊らしいのが七、八人ずつ座っていた。シベリヤ鉄道の果てまで来て、これから何処へ行くのか。

 五月中旬、プリモールスカヤ《ロシア沿海州南端のウラジオストクの対岸の港町》へ移動と決った。浦塩の外港らしい。食糧やトタン、板材の設営材料を積んだ貨車の隙間に人間が潜り込む。自分は厩小隊を率いて馬匹行軍。乗馬三頭、満馬を含む挽馬二十頭、コンボイ《警備兵》二人に我々二十人の編成。日程五日。

坦々とした軍用道路が丘と丘を結んでいる。トラック四台分の幅がある。一粁ごとに道標があり、浦塩まで一人〇粁。天気晴朗ポカポカ陽気。木々に若葉、野は花盛り。ほぼ十粁ごとに小部落があり「レモント」の看板を掲げた道路補修員の住宅が見える。

 スチユードベーカーの往来が頻繁だ。橋は木造で、キャタピラー車(グーセニッツイ オブホット)迂回の標識が立っている。鉄道踏切は常時遮断機が下りており、横切る方が引き上げる。

ある地点でコンクリ陸橋の下を通ったが、橋桁に大きく赤ペンキで張鼓峰の勇士万歳!(ザズドラストヴーエット バイツィオゼロハサナ)とあり、また時々道路脇に煉瓦のトーチカ跡のようなものがあるので、カンポイ《警備兵》に訊いたら、シベリヤ出兵時の日本軍の監視哨跡だとか。捕虜の悲しみを感じる。

                            (つづく)

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あんみつ姫

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