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Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/16 13:05
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 この行程で分かったことは、石造建物の道路側窓には必ず銃眼が設けられていてその部屋には人は住んでいないことだった。
国境地帯とはいえ、誠に意周到で、おかげで我々の労働には銃眼壊し作業が随分あった。

 行軍第一夜は、丘の麓の小川の辺り。ビロードのような若草と白樺林。天幕にはカーバイドを灯け、飯盒飯に豚肉、白菜、馬鈴薯の煮付けに野草のオヒタシと賑やか。ソ連兵は黒パンと脂身(サーロー)、馬鈴薯の抽妙めで至極簡単。

 この行軍は晴天に恵まれ快適そのもの。琿春生れの仔馬が殆んど馳足《ちそく=走って》で、車を曳く母馬に付いて来る。小休止ではコロリと横になっている。
最後発のトラック組が追い付いてきたが、エンジンの調子が悪く、故障したボロ車まで牽引しているから大変だ。バンプーロヴォの街外れの小川の辺りで大休止。水が綺麗で小魚も多い。

翌日は行軍を取り止めて、ドラム缶の風呂に入ったり、掻い掘りの小魚を煮たり、碁を打ったりしてのんびり過ごす。

 四日目の昼すぎプリモールスカヤにあと十粁の地点で昼寝。夕方薄暗くなってから到着。クーロフは全員無事に着いたので珍しく笑顔で出迎えてくれた。途中で拾った子犬はリユーバが早速連れていってしまった。厩小隊は丘の中腹に位置した。

 海が近く、浦塩の灯りがチラチラ光っているのが望見される。
 朝は霧が濃い。プリモの街はアパート式木造建築が道路沿いに並んでいる。煉瓦造りの機関庫があり、日本捕虜がガソリンカーで来て完成工事をやっている。

我々は馬糧整理やガソリン受領などの小作業のみ。燃料廠に行ったら「禁煙(ニエクリーチ)」の標示の下で中尉が口付き煙草を呉れた。禁煙だろと言ったら「なに、俺が責任者だから構わんよ」と呑気なもの。

 駅の近くに女車掌寮がある。チモフエーエフ軍医に無理矢理連れていかれたが、全くの女郎部屋。
真赤な唇の女が息のかかるほど顔を寄せて話しかけるやら、白粉の付いたままの手で握手するやら。白粉は日本の磨き砂程度の荒いやつ。ライオン粉歯磨きが白粉代りになるのもムベなる哉。

 五月も中旬過ぎると雨天が多くなってきた。敦化編成の川上大隊がクラスキノから到着。二〇九、一と川上の三ケ大隊を合併し、一の加藤大隊長を長とし、特技者を除き千人の大隊を編成することになった。伊藤と自分がクーロフに呼ばれて編成した。

兵、下士官九九〇人と将校は大隊長、副官、軍医、主計、中隊長四、通訳二を加え計千人とする。小隊長要員なし。自分は二一一の通訳だが、クーロフの命令で残留、技能者隊の長になれという。

二、三日前から、琿春ラーゲリに時々きていたジュワーキン大尉が現れ、機械工(メハーニク)、大工(プロトニク)、左官(シトウカトール)、縫工(パルトノイ)、塗装工(マリヤール)らを三ケ大隊から選抜して七十人の編成を言いつける。彼は兵站の将校らしい。

 五月二十日、雨中を加藤大隊が浦塩方面へ出発。残ったのは、三ケ大隊の将校約一二〇人と兵、下士約二〇〇。ソ例の命令で、隊長は二〇九の岩崎中尉、川上大尉は将校団長。通訳は伊藤と自分、主計は田中、岩松両少尉、軍医は二〇九の大井中尉、技術隊は自分が長で副官は藤井少尉。
ロシヤ人の技能程度が低いと分かったので、一寸器用な兵隊は大工、塗装工で付け出す。日本の叩き大工でも一人前の大工で通る。

 川上隊の将校連中は何もせず、毎日藤八拳や猫と鼠遊びで呑気なもの。我々技能者隊は何かと使役に出される。

 五月下旬、プリモを発ってバンプ一口ボへ逆行。駅から一粁の住居跡へ。糧秣を下ろしていると、女どもが寄って来て、米を数瓩くれたら一晩来るという。恐るべき食糧不足だ。
干鰊を洗っていたら、若い娘が二人来て黒パン三〇〇瓦と交換して欲しいと。今日は誕生日だが、御馳走は何もないと悲しげ。

労働者が俺達の昼飯は蒸し玉萄黍二本だけだ。君らは早くダモイして俺達に食べ物を残してくれという。

 移動のつど、真っ先にクーロフ夫婦の住居を選定し、要求通りに造り替えねばならぬ。
夫婦で伊藤と自分を呼びつけては文句をいう。我々は床に座り、彼らは椅子にふんぞり返る。伊藤が丸くなって平身低頭するので嫌味を言ったら、リユーバはノーズロだと。マメな男だ。

我々の宿舎は半崩れの建物にムシロを張って終わり。糧秣はナメクジだらけの倉庫跡の地下室を改造して収納した。

 即日、機械工、木工、縫工ら兵二十八人と将校一人を十七粁先のスラビヤンカの修理廠(レムバーザ)に派遣。このスラビヤンカ《ロシア沿海州ハサン地区の町》という海岸の街が、爾后一年間の我々の作業地となった。

 五月三十日、兵五十人を率いてスラビヤンカに向かう。天幕、糧秣を積載した挽馬輜重車二輌が続く。本隊出発は六月一日。

                            (イレギュラー虜囚記(その3)に つづく)

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あんみつ姫

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