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Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記(その2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2007/12/13 16:19
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
 十二月に入ると、マラリヤに似た高熱が続く回帰熱病が流行り出し、二〇九は四十数人、二一一で十人の死者が出た。虱で伝染する琿春熱という風土病だとか。遺体が冷えてくると無数の虱が四方八方に這い出し、身体の輪郭通りの白い枠が出来るのには驚いた。

 壊血病も出始めた。野菜は日本軍の乾燥菠薐草《かんそうほうれんそう》とこんにゃく玉のみ。うまい乾燥玉ネギは全部ソ側に召し上げられた。ソ側と相談の結果、満人農家から無断徴発と決定。夜の暗闇を利用して馬車三台、要員十二、歩哨と自分の計十四名で、予め見当をつけておいた駅向うの大きな農家真の地下野菜倉庫に馬車を着ける。

農家の塀の穴から覗くと、物音に気付いた主が「シュイヤー!」と出て来た。歩哨と二人で意味の無い問答を繰り返す。満人は赤軍と思って塀の外まで出て来ない。シュイヤー!と震え声で叫ぶごとに、こちらはチーシエ、モルチー、ヨツポイマーチとやり返す。
馬車に野菜が山積みになったのを見届け、先ず自分が姿をくらます。暫らくして歩哨が帰って来る。

翌日、早速司令部から調査官が来た。野菜は夜中に各中隊の炊事に配給し、倉庫には置いていない。ヒリモも自分も一切、知らぬ存ぜぬで押し通す。満人側は、醤油から油まで取られたと報告したらしい。転んでもただでは起きぬ連中だ。結局調査官はウヤムヤで帰って行った。ソ連では証拠がなければ何でも通る。

 十二月の下旬、ラーゲリにゲペウ《ソ連代表部警視庁》らしい黒肩章の大尉が現れて、我々と雑談していたが、二、三日経って、「君に頼みがある。兵隊の中に、憲兵、警察官、外交官、協和会の職員、新聞の特派員、放送局の職員などが居たら教えてほしい」と言い出した。

スプルネンコから忠告を受けていたので、そらきたと思い、「労働大隊編成時に、ソ側は我々をバラバラに組み合せたので、入隊前の経歴など全く分らぬ。大工やラジオ工を探しても名乗らないのに、憲兵や警察官など出て来るわけはない」と突っぱねる。

何度も同じことがあって、到頭ゲペの大尉は「僕は君(ナトイ)で親しく話しているのに、君は最後まであなた(ナヴィ)しか使わなかったね。これで帰る」と言うので「学校ではヴイの会話しか習わなかったので」と握手をして別れた。彼が姿を消すと、直ちに分っている限りの所謂前歴者を集めて注意を促しておいた。

この中に大阪外語出の太田伍長という補助憲《憲兵の補助をする任務》が居たが、二十三年夏、自分が学院出身ということでBC級戦犯用のアルチョム炭坑ラーゲリに移された時、ロシヤ語の素晴らしくうまい通訳さんとして、政治部将校のお供で現れた。

当時はシベリヤ民主運動が猖獗《しょうけつ=勢いが 荒荒しくて押さえきれない》を極め、旧軍時代の旧悪暴露カンパが盛んで、太田は煽動のため各ラーゲリを巡回していたらしい。髪を七三に分け、ピカピカの長靴。ラーゲリ全員集合で政治部将校のアジ演説の通訳をやって、でかい態度だ。解散後、太田の前へ出て行って、「太田伍長よ。お前も大した者になったな」と冷やかしたら、再会を驚きながらも、「福岡さんも自己批判して下さい」とぬかす。
前歴秘匿を指示したことが、奴らには「反ソ行動」になるらしい。「いやこの頃は一般労働に励んどるよ」と早々に別れた。ひやっとしたが、密告はされなかったようだ。

 十二月半ば、ヒリモーノフ小隊がソ領に帰り、二一一は二〇九の新任所長ダジャーノフ中佐の指揮下に入った。中佐は陸大《陸軍大学》の学生主事だったという。レーニン勲章を持っているから、相当功績もあるようだが、一般のソ連軍人のように胸にべ夕べタ勲章は付けず、ひとまとめにしてズボンのポケットに突っ込んでいる。

落ち着いた紳士で、我々の要請は最後まで聞き取って、出来るだけのことはしてくれた。しかし、ニー一の二月七日までの食糧には手の打ちようがないと言う。二〇九にはシェーバはあるが、我々には支給はない。

その代わり、十二月末から一月下旬まで、雪や風の日は作業免除にしてくれた。両大隊本部の将校を時々招待してウオツカ大会もやってくれた。カルメンのメロディーでドタバタ騒ぎ、二〇九の岩崎隊長は酔っ払った振りをして江戸弁で啖呵を切り、ソ側が持て余すこともあった。

 遂に昭和二十一年を迎える

 四、五日の労働でダモイどころか、捕虜で正月を迎えることになった。餅もつき、新年祝賀式もやった。君ケ代斉唱、東方遥拝。大山准尉は略綬偑用。

 ダモイを焦らなくなって落ち着いてくると、軍隊臭も薄れ出す。自分と田中少尉(松本高-京大)が、崇神天皇までの闕史時代や南北朝問題、神器に関することなどを話し合っていたら、加藤隊長が大喝一声「貴様らは日本人か! 将校をやめろ!」といきり立つ。
信念は信念、眞理は眞理として扱うという気持ちは分からぬらしい。幹侯《かんこう=幹部候補生》上りの将校としては珍しい。
五中隊の陸士出の鮫島中尉が目をパチクリして聞いていた。

 二月七日、待望の糧秣調整日。これで二〇九と差がなくなると喜んだが、ダジャーノフ中佐が両大隊共通の所長になっても切り替えは不可能らしい。ニー一は相変らずクラスキノから受領するが、副官の少尉が悪い奴で輸送途中で相当量を売り飛ばす。中佐も手を焼いているようだ。

 ソ側の検閲官(コミシヤ)が来て、給養について質問されたが、コミシヤの威力が分らず、有り体に報告して、後でソ連軍を誹謗したと罰せられるかも知れぬと思い、暖昧にやりすごした。しかし田中少尉と打合せて詳細な記録を作ることにした。

                          (つづく)

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あんみつ姫

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