特攻インタビュー(第4回)・その6
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陸軍航空特攻 久貫兼資氏
◆特攻隊編成(2)
--------「と号隊」というのは、どういう隊なんですか?
久貫‥「と号隊」というのは特攻隊のことなんです。だから、「と一号」から、ずうっと一連番号でついているんです。私たちは第八飛行師団に転属を命ぜられたんです。第八飛行師団だと「誠(まこと)」になるんです。それが、第六航空軍になると「振武」になるわけです。それだけが違うだけです。
--------隊長の質問の時には、もう特攻だとわかっていたのですか?
久貫‥大体わかっていましたね。
--------はっきりと、特攻隊員を募集するというわけではなかったのですか?
久貫‥では、ないわけです。意向を質しただけですね。ただ、もう、これは特攻だと薄々わかっていました。それだけ戦局が行詰っていることは、毎日の戦況報告でわかっていましたし、飛行機乗りはいつか死ぬと腹の中で理解していたからでしょうね。
--------それで、久貫さんは「と四一号飛行隊附」ということになるのですが、別の場所に移動されたのですか?
久貫‥ええ。第二六教育飛行隊だけで編成されているわけじゃないですからね。第二四教育飛行隊からも教官や助教が入っているわけですから。それが、新京に集まって第二航空軍司令官の指揮下に入って、命令で編成されるわけです。その時、編成されたのが、「と」三一、三二、三九、四一の4個中隊なんですよ。
--------皆さん、飛行機で新京に移動してきたのですか?
久貫‥ええ、私はハルビンから新京に飛んだわけです。何時何分に第二航空軍司令部の飛行場に集合という命令だったんですね。だから、その時間になると、平安鎮から来たのも、四平街から来たのも、大体、10秒ぐらいの誤差ぐらいで、ちゃんと集まってくるんです。そういうもんです、飛行機乗りつていうのはね。
そこで、「と号四一飛行隊」というのが編成されるわけです。隊長以下15名でね。そして、扶揺隊」という名前もつけてくれたんです。鉢巻もいただいた。その他、「武揚」とか、4個中隊みんな、名前をつけてもらい、鉢巻を渡してくれたわけなんですよ。で、「と三一」、「と三二」、「と三九」、「と四二の飛行隊が結成されて、第八飛行師団に全部、転属という命令が出されたわけです。
--------そこで鉢巻をもらったときの心境は、特別のものがありましたか?
久貫‥別に、変わったことはないですよ。だって、飛行機……その当時の飛行機はね、あの、同期生の間で話しても、「いつまでも生きていられるわけじゃないよな」ということですよね。神風号でロンドンに行った飯沼(正明)飛行士という人がいますね。あの人の従兄弟が学校時代の、今の古河一高っていうんですけど、そこの、配属将校だったんです。その人が「従兄弟(飯沼飛行士)がね、台湾のガランビ岬で死んだんだよ」って、言っていました。そういう、我々から見たら、ものすごい先輩の人ですよね。そういう人でさえ、死んじゃうんですよね。
だから、我々、ペーペー、駆け出しのパイロットが、そんな、いつまでも生きてられるわけねえだろって言ってました。特攻が決まれば、ああ、死ぬ時期が少し早まったかな、くらいにしか考えなかったです、みんな。大体、国を守るために行ってるんだからね。そのくらいの覚悟は、みんな出来てたと思いますよ。