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特攻インタビュー(第4回)・その14

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通常 特攻インタビュー(第4回)・その14

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/28 7:45
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 久貫兼資氏 

 ◆陸軍病院

 --------その頃の鹿児島は、空襲とか機銃掃射とかはなかったんですか?

 久貫‥鹿児島の陸軍病院が野戦病院になり危ないから、別府に転送される時、天文通りですか。あそこ、かなりやられていましたよね。空襲でやられた死体も何体も見てますけどね。

 --------当時の陸軍病院では、ちゃんとした治療を受けられたのですか?

 久貰‥ちゃんとしてました。

 --------鹿児島と別府の病院で、お体の方も回復されたんですか?

 久貫‥そうですね。傷を直すだけですからね。だから、こっちとしてはまだるっこいわけですよ。飛行機を操縦出来ないですから。手がね、ここへくっついてたんですよ、みんな。握ったような手で。だんだん、引きつってこうなりましたからね。だから、飛行機の操縦なんてとんでもないっていうような両手の状態でした。早く手術して隊に戻りたい。また飛びたいの一心でした。

 --------陸軍病院には負傷や怪我、病気の兵隊さん達が相当いたんですか?

 久貫‥おりました。相当、いっぱいでしたよね。

 --------同じパイロットで負傷した人もいたんですか?

 久貫‥パイロットで負傷した人とは行き会わなかったですね。鹿児島と別府ではね。

 --------陸軍病院での生活というのは、どんな感じなのでしょうか?ちょっと想像つかないんですけど。

 久貫‥早く治りたい一心ですものね。食事……空中勤務者には特別食がでました。ちゃんと治療はしてくれますしね。口之島にいる時は薬もないんですから。海軍さんのヤケドの薬があるんだけども、ちょっと前にヤケドの患者がいて、ほとんど便っちゃったんで無い。で、マシン油っていうのがありますね。あれを塗って治療したんですけどね。そのうち、それも無くなって、船の赤い塗料がありますね。あれを塗られて赤鬼みたいだねって言われてましたもんね。だけど、よく化膿しないで副作用なんかもなくて有り難かったですよね。この程度のヤケドなら、手術すれば元にもどると元気づけられていました。

 --------別府で療養されてる時に、一緒に飛び立った仲間たちから手紙が来たとおっしゃってましたけれど、戦友が面会に来たとかというのはあったんですか?

 久貫‥面会はありません。手紙が来たのも一回だけです。菊田という同じ「と四一号」隊にいるんですけど、それが、その話を聞いて私に手紙をくれたわけです。こうこうこうやって帰ってきたよってことで。

 で、その前にね、別府の病院から、旅館を借り入れて病棟にした浜町病棟というのに入れられたんですけどね。別府の港のすぐ隣にある旅館を病棟にした奴です。それで、扶揺隊のマークを、飛行長靴に菊水のマークをつけることに決めていたんです。そしたら、菊水のマークの飛行長靴が置いてあるじゃないですか。「これ誰?」 って間いたら、加瀬曹長という私と一緒に飛び立った時に万世に不時着した人です。その人が療養してたわけですね。で、その人が、翌日、東京第三陸軍病院に、箱根に転送されると。せっかく会えたのになあっていうことで、私に、いろんな、今まで自分に融通されたものを譲ってくれたんですよ。こういうことはこれに頼め、あれはこう頼め、つてことでね。

 でも、結局、そういうこと利用しない間に私は山の中の病院……目の治療の必要があったので眼科の病棟に入ってましたからね。あんまり、ご利益はありませんでした。

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