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特攻インタビュー(第4回)・その7

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通常 特攻インタビュー(第4回)・その7

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/21 8:12
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 陸軍航空特攻 久貫兼資氏 

 ◆石垣島への移動命令

 --------新京で特攻隊が編成されて、そこで訓練が行われたのですか?

 久貫‥いや、訓練は新京なんかでやれないですよ。だって、新京は第二航空軍の管轄で、我々は第八飛行師団に転属を命ぜられたんだから。第八飛行師団に行かなきやならない。第八飛行師団っていうのは台湾の台北にあるんです。で、そこへ、中隊ごとに爆装して行くわけです。爆装というのは爆弾が吊れような状態にして行くことですね。

 --------実際に爆弾を積んでいるというわけでは……。

 久貫‥わけじゃないんです。いつでも積めるようにするわけです。

 --------台北に到着した後は。

 久貫‥第八飛行師団の命令で宮崎県の新田原に移動しました。第八飛行師団の出張所があるからとのことでした。そこから、「と四一」は石垣島へ前進せよというわけだ。各隊、それぞれ命令が違うわけですよね。

 --------第二四教育飛行隊時代から久貫さんの乗機は、ずっと九七戦だったのですか?

 久貫‥そうです。ハルビンから新京に行って、新京から今度は奉天に行って、奉天で爆装して、それから……我々は奉天で爆装したけど、内地で爆装する奴もありましたね。それから太刀洗に飛んでということですね。

 --------移動も、部隊ごとの編隊飛行で?

 久貫‥もちろん、そうです。

 --------移動の間、訓練はどうしたのですか?

 久貫‥訓練は石垣島に行ってやるということなんですよ。ところが、我々は、3月27日に知覧に着きました。そこで一泊して、28日に飛び立つんですけど。その時、すでに、アメリカ軍が慶良問列島に前進、襲撃かなにかしていましたよね (昭和20年3月26日、アメリカ軍が慶良間列島に上陸開始)。

 そういう情報が入ってきたんです。それで、もう、石垣島に行くことないから、そちらから攻撃せよと命令変更になったわけです。


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