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イレギュラー虜囚記(その1)

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あんみつ姫

通常 イレギュラー虜囚記(その1)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/12/5 11:36
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
      哈爾浜《ハルピン》学院21期生     福岡 健一(1994年 記)
 満洲電々でアナウンサー教育-学徒出陣

 昨秋出版された12期梶浦智吉先輩の遺稿、『スターリンとの日々』-「犯罪社会主義」葬送譜-や、内村剛介の著書などを見ると、ウ~ム、これぞ第一級?のソ連捕囚記の感を深くするが、それに比べると、吾がシベリア捕虜生活など物の数にも入らない。軽くて、呑気で(鈍感でと言うべきか)、一種の可笑しみさえ感じられる。

 そもそも、関東軍《注1》の抵抗中止直後、最初のソ連軍との出合いが、「お前達、赤軍(クラスノアルメイツィ)か自衛軍(ベログヴァルディア)か」と呼びかけたら、「おれ達は赤軍だ」と返事が返ってきたのを見ても推して知るべしだ。市販の各種シベリア苦労話も、それはそれとしてロシア語の解る日本軍下級将校の満州終戦始末記やシベリア呑気節もまんざら捨てたものでもなかろうと思い、ポームニム《露語=忘れるもんか》 誌上に紹介することとした。

 これは「思い出の記」ではあるが、資料はシベリアから復員後直ぐ書きとめた数十ページにわたるメモである。一部はポームニム4号に伊藤清久追悼記として発表した。今回はそのメモを一からたどって、興味の持てそうな箇所を原文通りにピックアップすることにした。表現が生硬《せいこう=未熟》でところどころ軍隊調が混じるが、ご容赦を。

 さて、標題をイレギュラーとしてみたが、考えてみると、イレギュラーは、捕虜生活だけでなく、ずっと以前から私自身に付いて回っていたように思う。
 大阪のいわゆる進学校から学院に飛び込んだのがそもそもの始まり。学徒動員《がくとどういん=戦時の強制的に学生に労働を強いる》を食らって入営までの間、割り当てられた就職先が先輩一人だけの満洲電々《満州電信電話株式会社-》
新京本社では、ウムを言わせず《販路運の出来ないまま》アナウンサー教室へ。若い男女十人余りに混ざって一日中小学読本の「国語の力」や島木健作の満洲紀行「勃利《ぼつり=中国黒龍江省の七台市の行政区》にて」などの反復朗読練習。森繁久彌に習ったのかも知れない。

 新京へ赴任の際、赤紙《軍隊への召集令状》を突っ込んでおいたボストンバッグを哈爾浜駅でショーハイに置き引きされた。見送ってくれた級友の誰かに手続きの代理を頼んだが、哈爾浜の兵事部で「召集令状の再発行など聞いたこともない」とえらく叱られたそうな。申し訳なし。赤紙
は廣田弘道君が電々まで届けてくれた。人事部では、アナウンサーは召集免除のはずだと方々へ照会したようだが、出陣学徒《注2》には例外なしとのことでガッカリした。それでも、入学前に「満洲電々放送総局放送員」という堂々たる?辞令をくれた。

【注 満州電々には先輩一人と書きましたが、広島在住の19期藤田鹿之さんから昭和16年3月、藤田さんのほか鬼木勝郎(福岡在住)、園田正文(岡山)、清水敏万(戦死)、故本田貢(和歌山)さんの五人が入社と申し入れがありました。】

                        (つづく)
注1 中国東北部の日露戦争後ロシアから譲り受けた租借地 主に旅順、大連地区並びに満州に駐留した 日本軍
注2 1943年(昭和18年)10月学生に与えられた徴兵延期が撤廃され旧制大学 高等専門学校学生(文科系)を学窓から徴兵した

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あんみつ姫

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