Re: イレギュラー虜囚記
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イレギュラー虜囚記(その1) (あんみつ姫, 2007/12/5 11:36)
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あんみつ姫
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四〇〇部隊で城所、成瀬、瑠璃垣、鈴木と合流。中村博一も。
さて翌日、四〇〇部隊に出頭したら、副官に絞られた。
何の連絡もせずに着任を遅らせるとは何事。成瀬見習士官に車をつけて新京駅へ迎えにやったのに終日待ちぼうけを食わせた。これだから学院生は困る。軍属に案内させるからすぐ孟家屯《中国東北部新京(現在の長春)市内の町》通信所へ行け。隊長の不破(守次郎)少尉(20期)は入院中だ。貴官をいれて学院同期の見習士官が四名揃う。
何をやらかすか分からないので、時々偵察に行くから覚悟しろとおどされた。
畠の中の通信所に行くと、いるいる、城所、成瀬、瑠璃垣。鈴木淳栄だけはずっと本部勤務だった。ソ連空軍の無線傍受は二十四時間体制で専門の軍属がやっており、われわれはその日の結果を聞くだけ。週番士官《週間交替で朝夕の点呼や夜の見回りを主任務とする将校》を日直制にしてあとの三人は外出。
おかげで新京神社の祭や津川盛(9期)先輩宅、内藤(操)の寮にも出かけて、婚約中の奥さんにも紹介された。
ただし、気楽な暮らしもーカ月で終わり。二十年六月一日付けで四〇〇部隊は改編、名称が羽八三二四部隊となった。城所が牡丹江のすぐ西の海林の情報第一中隊付き、私が同じく第二中隊、成瀬が楡樹屯《ゆじゅとん=中国吉林省の町-》の第三中隊、瑠璃垣は孟家屯、鈴木は本部付きそのまま。
翌日、第二中隊長の田中大尉と兵七名、それにわれわれ二人が海林に向かうことになったが、どうしても哈爾浜を一目見ておきたい。
そこで、種々整理しておくべきことが残っているのでと口実を設け、風邪気味の中隊長に兵隊をおしつけて途中下車。
先ず学院へ顔を出したら、梅村学監が召集を受けて少将の軍服を着ていた。閣下と見習士官では大変な違い。早々に辞退して、それぞれ名残を惜しむベき処へ行くこととし、夜は半田(清春)先生の留守宅に泊めてもらうことになった。
私は女友達のニーナ・シチュルパコワの家を訪ねた。完全軍装で不意に現れたので驚いていたが、一家をあげて大歓迎をしてくれた。終戦でどうなったか。
(つづく)
さて翌日、四〇〇部隊に出頭したら、副官に絞られた。
何の連絡もせずに着任を遅らせるとは何事。成瀬見習士官に車をつけて新京駅へ迎えにやったのに終日待ちぼうけを食わせた。これだから学院生は困る。軍属に案内させるからすぐ孟家屯《中国東北部新京(現在の長春)市内の町》通信所へ行け。隊長の不破(守次郎)少尉(20期)は入院中だ。貴官をいれて学院同期の見習士官が四名揃う。
何をやらかすか分からないので、時々偵察に行くから覚悟しろとおどされた。
畠の中の通信所に行くと、いるいる、城所、成瀬、瑠璃垣。鈴木淳栄だけはずっと本部勤務だった。ソ連空軍の無線傍受は二十四時間体制で専門の軍属がやっており、われわれはその日の結果を聞くだけ。週番士官《週間交替で朝夕の点呼や夜の見回りを主任務とする将校》を日直制にしてあとの三人は外出。
おかげで新京神社の祭や津川盛(9期)先輩宅、内藤(操)の寮にも出かけて、婚約中の奥さんにも紹介された。
ただし、気楽な暮らしもーカ月で終わり。二十年六月一日付けで四〇〇部隊は改編、名称が羽八三二四部隊となった。城所が牡丹江のすぐ西の海林の情報第一中隊付き、私が同じく第二中隊、成瀬が楡樹屯《ゆじゅとん=中国吉林省の町-》の第三中隊、瑠璃垣は孟家屯、鈴木は本部付きそのまま。
翌日、第二中隊長の田中大尉と兵七名、それにわれわれ二人が海林に向かうことになったが、どうしても哈爾浜を一目見ておきたい。
そこで、種々整理しておくべきことが残っているのでと口実を設け、風邪気味の中隊長に兵隊をおしつけて途中下車。
先ず学院へ顔を出したら、梅村学監が召集を受けて少将の軍服を着ていた。閣下と見習士官では大変な違い。早々に辞退して、それぞれ名残を惜しむベき処へ行くこととし、夜は半田(清春)先生の留守宅に泊めてもらうことになった。
私は女友達のニーナ・シチュルパコワの家を訪ねた。完全軍装で不意に現れたので驚いていたが、一家をあげて大歓迎をしてくれた。終戦でどうなったか。
(つづく)
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あんみつ姫