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Re: イレギュラー虜囚記

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あんみつ姫

通常 Re: イレギュラー虜囚記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2007/12/5 11:39
あんみつ姫  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 485
いよいよ十二月一日。石渡大尉に連れられて21期、22期十数人がゾロゾロ入ったのが遼陽《りょうよう=中国遼寧省の省都》の満洲第三〇三部隊(29師団輜重兵29連隊)。
人事係下士官が名簿を見ながら点呼。岡崎(赫生)は即日帰郷《軍人に適さないと判断され召集当日召集解徐される》
廣田は自動車の第三中隊、久野(公)や馬場(正治)、成瀬(孫仁)、城所(尚爾)らが輓馬の第一中隊。中隊の下士官に連れられて行ってしまった。

営庭に残っているのは名簿を見返している人事係と私一人。名簿外れ?で即日帰郷かとワクワクしていたら、「お前は何だ」ときた。名前を言ったら名簿を調べ直して、「二中隊だ。ついて来い」と、営庭の反対側の兵舎へトボトボ牽かれて行った。なぜ一人だけ千切れたのか未だに分からない。イロハ順の人数割りで余ったのかとも考えたが、あと順の松本五朗が一中隊だから話が合わぬ。

 班内で一人ポツンとしていたら、夕方になってドヤドヤと入って来たのが、建大《建国大学》、新京法政、大連高商、旅順高校の連中。中には父兄同伴もいて、親父が班長によろしくお願いしますと挨拶していたのには驚いた。これが私の隣の寝台にきた旅順高校のKというトロい男。第一次幹候試験にも受からず、十九年二月の師団南方転出に連れてゆかれた。サイパンかグアムで戦死だろう。
試験に受かった幹侯は一中隊に集められたので、やっと皆と一緒になれた。

遼陽師団の南方転出で残された学徒兵員は哈爾浜の28師団に転属。輜重隊はミルレル《ハルピン郊外の町》兵営にいた。三ヶ月前まで馬術部で馬を借りていた部隊で、境遇の激変にガックリした。ここでは。学院班とその他班に分けられたが、その他班は駆け足訓練と称して、キタイスカヤやスンガリー《ハルピン市の中心街》に出かけているのに、学院班は一歩も街へ出してくれなかった。逃亡するとでも思ったのか。

間もなく師団はチチハル《中国黒龍江省の第二の都市》へ移動。甲幹試験《甲種幹部候補生への試験-》の合格者は五月一日、牡丹江《中国東北部黒龍江省の都市》の輜重兵幹部教育隊へ。ここでの生活は、馬場が「牡丹江予備士官学校《予備役の将校を教育する学校-》の日誌から」と題して、ポームニムに発表している。

 さて、十九年十二月上旬、見習士官になったが、諮師団は宮古島に移動してしまって船はなし。
 その頃既に関東軍は有力な師団も部隊も持っていなかったようだ。
結局、約三十人のアブレ見習い士官は奉天《中国東北部遼寧省の現在の瀋陽》の北陵近くの関東軍通信教育隊将校練習隊に移されて、今度はトッートッーの教育を受ける仕儀となってしまった。押し付けられた教育隊も迷惑顔がアリアリ。われわれも、馬の尻を洗っていたのが、真空管の原則だの電気抵抗のオームだ、ファラッドだとワケの分からぬことを詰め込まれてやる気なし。

隊舎は張学良《ちょうがくりょう=注》の造った東北大学の建物で、将校練習隊は二人一室。到着の夜ストーム《学生が集団でどんちゃん騒ぎする事》をかけられて驚いたり喜んだり。岡本かの子全集や岩波文庫をせっせと読んだ。

 二十年三月に入ると逐次転出者が増え、城所も割り当て就職先の四〇〇部隊(第二航空軍特種情報部)へ赴任した。四月上旬の本土防衛ではゴッソリ減って、軍通信関係で残ったのは池田栄と私だけになってしまった。
このままどこかの通信隊に出されたら、生え抜きの兵隊になめられると思ったので、日満商事の奉天支店にいた祖泉隆平経由で新京の関東軍司令部第二課にいた内藤操にアプローチ、四月卅日付けで四〇〇部隊付きの命令を受けた。
内地から来た学徒兵は、哈爾浜学院の人は軍隊内でも自分の勝手で移動できるのかとびっくりしていた。

 祖泉の寮へ連絡に行ったら、彼にも召集がきていて五月一日に東満の部隊に入るとのこと。こちらの着任を一日ずらして新京まで同行することにした。奉天のミッシャにいた20期の青木譲さんがロシア人を集めて送別会を開いてくれた。
                         (つづく)

注 中国の政治家で 華北方面の軍事政権を掌握していた

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あんみつ姫

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