特攻インタビュー(第7回)・その3
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編集者
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海軍航空特攻 野口 剛氏
◆乙種予科練へ
--------野口さんは乙種予科練に入隊されています。中学生に進学した方は予科練でも、甲種に進むのが一般的だと思うのですが。(※注1)
野口‥甲種も合格しました。ですが、私は中学3年で予科練に行くものですから、卒業している先輩方が甲種に沢山いると知っていましたので、一緒に競争するには体力的に追い付いて行けないと思ったので乙種を選びました。
--------甲種と乙種は自由に選べたということでしょうか?
野口‥はい、選べましたね。私は、昭和16年12月に入隊の予定でしたが、いつまでも通学するより早く軍人になりたかったので、横須賀鎮守府にお願いして、半年早めて、乙飛16期に入れてもらったのです。
--------甲種と乙種の違いは何でしょう?
野口‥進級が早いという違いがあって、教育期間も甲種は1年半、乙種は2年半ということでした。当時、乙種も教育期間を2年に短縮していましたが。
--------予科練に入隊された頃、アメリカとの関係が悪化してやがて戦争となります。そのような雰囲気を実感する出来事はありましたか?
野口‥昭和16年5月1日に予科練に入りましたので、大東亜戦争はまだ始まっていませんでしたが、12月8日に戦争が始まって、一段と厳しく鍛えられるな、と思いましたね。
--------その後、ミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いなどで戦局が悪化していきますが、そういう戦況はご存じでしたか?
野口‥訓練の方が先だったので、戦況について詳しく知らされることはありませんでした。
--------予科練から飛行練習生、そして実戦部隊へ進む過程を教えていただけますか?
野口‥予科練に入って1年ほど過ぎた昭和17年5月に、土浦の水上練習機で適性検査をしました。そのときに操鮮員、偵察員に分かれ、私は陸上機の操縦員に行くということだけが分かりました。入隊から1年ほど土浦にいましたが、土浦の人員が増えて収容しきれなくなり、できたばかりの三重の海軍航空隊へ配属になりました。そして、そこで予科練を卒業しました。
その後は鹿児島県の出水航空隊に入りました。ここは、徳島の戦闘機隊の訓練基地だったのですが、練習航空隊になり、そして飛練(飛行練習生)が初めてできて、そこに一番最初の練習生として配属されました。そこを卒業するときに、戦闘機、あるいは爆撃機、攻撃機に分けられました。当然、誰しもが戦闘機を希望するのですが、爆撃機に配属の者もいれば、艦爆に行った者、艦攻に行った者もいるというわけです。そのとき、私は戦闘機に行けて良かったと思っていましたね。
--------有名な話で、海軍の搭乗員になるには「人相見」がいて、顔の骨格などで適性を選ばれていたといいますが、野口さんもご経験がありますか?
野口‥はい。土浦でやりましたね。
--------予科練に入隊した時、体験されたということでしょうか?
野口‥はい、そうですね。しかし、どういうところを見られたのか分かりませんけれども、されたのは間違いないですね。予科練に入る時は、1週間ほど予科練で寝泊りしながら適性検査をしました。
--------当時の映像に残されていますが、ぐるぐる体を回されて平衡感覚を試すというのも?
野口‥あれはもちろん、当然やりましたね。それで後ろから押し出されて、真っ直ぐ歩けるか、立つか、やられました。それから操縦梓を持たされて、重くなったり軽くなったりするのですが、そのときにどれくらいの幅で動くのかというのもやりました。それと、いっぱい穴が開いている円盤があって両端に針が付いていて、円盤が落ちないよう注意して廻すっていうのもやりましたね。