特攻インタビュー(第7回)・その6
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編集者
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海軍航空特攻 野口 剛氏
◆実戦部隊で零戦に乗る
--------飛行練習生の教育が終わると、次は実戦部隊に配属になったのですね。
野口‥はい。卒業して今度は大分の戦闘機教育隊で実戦、実機を習いました。
--------そのときの戦開機は零式艦上戦闘機ですか?
野口‥ちょうど、私達のときは零戦でした。昭和15年にできた戦闘機で、既に昭和18年ですから零戦で訓練しましたね。その前に九六式艦上戦闘機で地上滑走だけして、直ぐに零戦で訓練になりましたね。
--------よく話題になるのですが、当時の搭乗員達は「レイ戦」と呼んだのか、それとも「ゼロ戦」と呼んだのか。
野口‥当時も両方使っていましたね。
--------零戦に乗った思い出は残っていますか?
野口‥今までは脚(車輪)が出たままの機でしたが、零戦は脚が入る機なので、格納を忘れてしまい、地上から旗を振られてやり直したということがありました。
--------靖国神社の遊就館で実機を見ると大きく感じましたが、野口さんはどうでした?
野口‥中間練習機に半年しか乗っていませんでしたけど、特別な感じはしませんでしたね。
零戦になって脚が一番心配だったのと、風防を開けたり閉めたりするのが気になりました。離陸したら風防を閉める、それから脚を入れて、フラップを閉じて上昇していくということで忙しかったですね。
--------その時期の訓練は?
野口‥まずは離着陸訓練をして、それから特殊飛行ですね。宙返りをしたり背面飛行をしたり、ロールしたり。その後に空戦をやるわけです。空戦も、優位の状態、劣位の状態、同位の状態と三つの状態で実弾射撃訓練をするのです。その後は編隊飛行の訓練をして、卒業ということになります。
--------その頃の教官は、南方で実戦を経験した搭乗員もいましたか?
野口‥はい。怖かったです。怖かったですね、実用機訓練の時は……。練習機の時は爆撃機や攻撃機の教員や教官がおられましたが、戦闘機は余りおられなかった。実用機の場合は、同じ戦闘機乗りでないと教えてもらえなかったので、それが、ちょうど直系の先輩で戦地から帰ってきた方がほとんどだったので、大分の戦闘機隊の時は、とにかくきつかったですね。
--------今でも名前を覚えている教官の方はいますか?
野口‥本田(稔)さん。甲種予科練の5期の方ですね。その方は、戦後、航空自衛隊へ行かれて、三菱重工へテストパイロットとして行かれた方でして、私も戦後、民間に行っているときに仲良くさせていただきました。
--------当時は鬼のような。
野口‥ええ、そうですね (苦笑)。大分の4カ月の間にカレンダーに印を付けていましたが、殴られなかった日は(約120日中) 19日しか無かったですね。まあ、きつかったですよ。
--------その時の厳しい訓練は、その後に役に立ちましたか?
野口‥はい、効いてますね。
--------どのような時に、役に立ったと実感されましたか?
野口‥そうですね。陸軍も海軍もよく、「ただ殴られていた」という話を聞きますが、私達はそうは感じていなかったですね。やはり、自分が悪いのだと感じていましたから。だから、普通の生活する上で班長でも階級の上の方でしたが、それほどいじめるようなことは無かったと思っています。