特攻インタビュー(第7回)・その13
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編集者
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海軍航空特攻 野口 剛氏
◆遊撃戦と特攻待機の日々
--------野口さんはどちらの方でしたか?
野口‥毎日が遊撃戦で、いつ爆弾を積んだ飛行機に乗るか決まっていませんでした。遊撃戦で上がるときは爆弾を外しました。8月15日まで猛訓練をしました。実弾で射撃訓練をして、いざ出撃というときに大分から司令官がきて、お前達は攻撃をやめろと言われてやめました。特攻出撃の待機期間は1カ月くらいでした。
--------いつ特攻命令が来るか分からない日々は、どのようなお気持ちだったでしょうか?
野口‥1日のうち、午前中が特攻待機で午後から遊撃に上がるとか。あるいは、その反対の流れですね。そして、夜になったら夜間戦闘機と交代。なので、夜になると帰ることが出来た。敵の攻撃の来る時期や編隊の状況によっては爆弾を抱えたまま行かなければならないということもあるし、そうでなければ戦闘に上がる。
--------昭和18年ごろのお写真と特攻待機中のお写真とでは顔つきが違うような……。
野口‥そうですね、全然違いますね(笑)。でもね、怖いと思うことはあまりなかったです。やはり、鍛えられたせいなのかなと感じますね。沖縄へ爆撃機を直掩して行ったり制空に行ったりして、敵機が2、3機でも見付けた時は、「こんちきしょう」と思って攻撃したりしていますからね。私だけでも4機くらいは落としています。
--------それと、二〇三空に行って間もなくでしょうか、笠之原から遊撃戦で上がって……いつ頃だったかちょっと忘れましたけども、鹿児島の桜島の上空3000mで集合ということがあったのですが、ちょうど私の飛行機は部品を取り替えていたので間に合わなくて、後から編隊の後ろに付いて上がっていったとき、先に上がった編隊が敵機に攻撃を開始しようとしていたのですが、敵機4機が私の方に向いて、撃ち落されてしまったのです。搭乗していた戦闘機が火を噴いてしまったので落下傘で脱出して、錦江湾に3時間ほど浮いていたことがありました (笑)。3時間ほどで直ぐに助けてもらえたので、その晩には笠之原基地に帰ることが出来て、戻ったら隊長から「お前がやられたところが見えていた」と言われましたね。
--------その頃には野口さんもベテランの一人になっていましたか?
野口‥そうなっていましたね。
--------入隊したての頃とベテランになった頃とでは、色々違いがありましたか?
野口‥そうですね。でも、仲が良かったと思いますよ。ああいう状況での仲間というのは大事でした。上も下もなかったと思いますね。笠之原の防空壕にいたときは軍医長と一緒でしたが、一緒に酒を飲んで、「もういい加減、酒はやめろ」などと話して仲が良かったですよ。
--------その頃には乙種も甲種も関係なかった?
野口‥もう、関係なかったですね。予科練のときだけちょっと色々ありましたが (苦笑)。