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特攻インタビュー(第7回)・その15

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通常 特攻インタビュー(第7回)・その15

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/7/11 6:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 海軍航空特攻  野口 剛氏

 ◆民間航空会社に就職

 --------その後、民間のパイロットにられたということですが。

 野口‥ええ。講和条約が締結された昭和27年に航空再開ということで、直ぐに飛び込みました。ですから、一番早い口だと思いますね。で、航空局というのができていまして、「おおとり会」というのがあったのですが、これは民間人たちの会でね。軍の出身者でも良いかと聞くと大丈夫だったので、そこへ入会して、手伝いをしながら勉強して、民間のライセンスを取らせてもらった。昭和28年12月に、民間の操縦士、通信士、航空士の試験を受けて、昭和29年1月にライセンスをもらいました。その後、海軍の予備学生出身者などが作っていた民間の航空会社に就職しました。

 そうしたら直ぐに、「また鉄砲の付いた飛行機に乗らないか」と誘いがきました。しかし、もう民間の航空会社に就職したので、と自衛隊には行きませんでした。民間のライセンスがあるなら三尉で入隊させてやると言われましたけどね(笑)。それから、ずっと民間航空会社でした。

 --------戦後の人生の中で、戦時中のことを思い出すことはありませんでしたか?

 野口‥戦後、昭和20年8月から桐生の家にいたときは毎日寝てましたね。昭和21年のときに父の会社に入れてもらったのですが、戦後の何も無い状態でしたし、仕事は何ができるのかと問われても何もできなかったですから、すさんだ生活を送っていましたね。

 --------戦争のことを冷静に話せるようになったのは、もっと後になってのことですか?

 野口‥そうですね、戦後に民間の飛行機にカムバックするまでは、余り戦争に関する話はしませんでしたね。

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