特攻インタビュー(第7回)・その16
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編集者
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海軍航空特攻 野口 剛氏
◆特攻で死んだ人を忘れないで
--------当時と今では価値観や考え方が違いますが、なぜ特攻というものが行われたか、野口さんのお考えはありますか?
野口‥特別な考えはないです。戦争だから仕方がない、としか思っていなかった。
16歳程度の、余り世間に出ていなかった若者でしたから、言われるままに、教育されるままに従ってきていたというのが事実だと思います。だんだん後になって、色々考えることは出てくるのですが、心に秘めています。世の中は変わってきたと感じるが、一人でわめいたって仕方がないと思い、生きてきたという感じですね。
--------特攻について、特別な思いというものがありますか?
野口‥特別攻撃隊というのがなくてもね……例えば自分の飛行機が火を噴いてしまっていて、敵がそこにいたらぶち当たっていくということをやった人がいるわけですよね、結果的には。だから、それだけじゃ足りないというので特攻ができたのではないかと思うのですがね、それが一人の人間の命を奪うわけですからね。今は一人殺しても大変なことになるのに、戦争ともなればそういうことがなくなってしまうわけですから、二度とそんなことはあっちゃいけない。アメリカ人が特攻をクレイジーと言うのもね、納得ができると思いますよ。私がボーイング社に行ったとき、ちょうど12月8日でした。さっきのジャンボ機の話で行ったときですけど。そのとき、昔、零戦に乗っていたのだと言ったら、戦争を、特攻を、日本人は好んで行ったのかと聞かれたりもしましたね。だけど、我々としては命令もさることながら、国のために命を捨てることは、当時の我々としては承知したことだと伝えましたら、左右に首を振っていましたね(笑)。
今、特攻の話を盛んにしてほしいとは思わないけれど、そういう人たちも日本人としていたんだなあと思ってほしいですよね。私はね、この一生は、慰霊には常に行きたいなと思っています。強要できるわけではないし、これからあってほしいことではないですからね。この大東亜戦争で特攻があって、そして終わったと。だから、亡くなった方にはね、生きている間は一生、慰霊をしていきたいなという気持ちです。
--------慰霊ということでは靖国神社に行くのが一番多いですか?
野口‥はい、多いですね。同期や色々な地方での集まりというのがほとんどなくなってしまいましたから。
--------乙飛16期で戦闘機乗りの同期生は60名ぐらいとのことですが、戦死された方は相当多いですか?
野口‥はい、多いですよ。戦闘機専修で60名くらいですが、水上機から上がってきたのは数知れないですから、どれくらいかは分からないですね。戦闘機乗りになってから死んだというのは、ずいぶんいると思います。戦争で水上機の使い道が少なくなっていましたからね。なので、水上機から陸上機へどんどん上げていった。結果的には戦闘機乗りで死んでいるわけです。
--------予科練の頃の集合写真を拝見しましたが、戦後も生き延びられた方というのもあの中に何名かいらっしゃるのでしょうか?
野口‥いたにはいたのですが、今は皆、亡くなっていますね。民間航空会社でも亡くなっています。まだ旅客機までいかない小さい飛行機の時に亡くなっている方が4人も5人もいます。
--------戦友が亡くなられるというのは、ただの知り合いが亡くなるということとは気持ち的に違いますか?
野口‥そうですね、違いますね。なので、年賀状の前に喪中はがきがくれば、私は必ず電話しています。奥さんとかにね。