@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

特攻インタビュー(第7回)・その9

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 特攻インタビュー(第7回)・その9

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/7/5 6:43
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 海軍航空特攻  野口 剛氏

 ◆B29との遊撃戦

 --------その頃はB29による爆撃が活発になっている時期ですが、空襲はありましたか?

 野口‥昭和20年3月18日の遊撃戦をやるまでは余り無かったと思います。その遊撃戦の後からは、絶え間なく来たという状況だと思います。

 --------3月9日、10日は東京大空襲があったわけですが、ご存じでしたか?

 野口‥東京に空襲があったとは聞きました。

 --------そうした時、ご家族と連絡を取る手段はあったのでしょうか?

 野口‥いいえ。全然ありませんし、別段考えもしなかったですね。

 --------3月18日の遊撃戦のお話を聞かせていただけますか。

 野口‥私の初めての空戦になったわけですが、私たちの一番機は西村少尉といい、操練の23期の方で戦地帰りでした。水上機から来られた方で、「俺について来い」と言ってくれました。そして3番機は私の同期の小須田という者でした。それで、朝の7時すぎに上空に上がって初めての空戦を行いました。

 西村少尉は上空に上がっても、すぐには戦いませんでした。8000mくらいまで高度を取って、空戦から外れて出て行こうとする敵機に上から攻撃するというやり方でした。ああ、なるほどこういうやり方があるのだと、そのとき初めて習いましたね。

 --------初陣のときは、やはり隊長機に付いていくので精一杯でしたか?

 野口‥はい、精一杯でしたね。だから気が付いたら機銃の弾がもう無くなっているんですよ (笑)。面白いもので、引き金の引き方によっては、すぐに弾がなくなってしまうものなのですよ。やはり戦争というものはやってみないと色々と分からないものなのだと思いましたね。敵機が火を噴いて落ちていくのを見たりして、最初はやはり足が震えましたね。武者震いか、怖くて震えたのかは分からないのだけれど(笑)。

 --------当時の戦闘機隊ですと一個小隊4機?

 野口‥4機でしたね。

 
 --------初陣の、その後はどうだったのでしょうか?

 野口‥初陣は4回ほど着陸しては、燃料と弾薬を補給してまた上がってと繰り返しました。しかし、敵機も次から次へと繰り返し、帰ったらまた来て、帰ったらまた来ましたからね。その晩、私達は20機ぐらいやられたと思います。それで、私が一番伸の良かった畠山という者が戦死していました。その晩は、そのまま鹿屋基地へ行けということになって仲間のうち4機ぐらいが、零戦の後ろに一人整備さんを乗せていきました。私達は翌日、残っている者全員で鹿屋に行きました。3月18日に遊撃戦をやって、19日に鹿屋に機体を運んで行って、20日は休んで、3月21日に神雷攻撃でした。

  条件検索へ