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 旅行記   2015.1.1更新

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  • [No.5035] 伊予のいい町 15 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/06(Sun) 06:38
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    画像サイズ: 640×437 (95kB)
     道後の温泉場で洋式ホテルぞなもし

     なぜ、そういうことになったのか?
     温泉地では和風旅館が主流でしょう。ところが和風旅館は原則「一人旅」の人は泊めません。これは日本中共通です。二倍三倍のお金を払っても泊めてもらえません。だから、洋風ホテルということにならざるを得ません。最近、独居の人が増えた。そうでなくても介護などのため二人で家を空けられないことも多いのに。残念です。だから、一人旅の人間は温泉地に泊まる機会があまりないのです。
     それが今回、ダメモトで「楽天」で探してみたら「道後山の手ホテル」で、一人旅も受け入れてくださることがわかったのです。しかも、フルコースのフレンチ・ディナーと、「豪華朝食」つきで、料金は、19000円です。しかも、朝食もバイキングスタイルなんかじゃない一皿ずつサービスしてくれるのであります。
     温泉大浴場もあります。お部屋はツイン・ルームのシングルユースでした。これも豪華でした。

     フルコースディナー、食器なども本格的でした。完食しました。美味しかったです。
     この日は朝6時から、歩き通しでしょう。25,000歩くらい歩きました。だからお腹も空くのです。
     それにしても、なぜ、こんなところに「洋式ホテル」があるのでしょうか。
     その昔、宮大工だった川崎吉太郎氏。明治18年、道後温泉本館東側にあった住まいと近くの土地を買い足した場所を使って、一軒の旅館を開業させました。 この「川吉旅館」は、温泉そばの  保養旅館として親しまれ、画家や文人らも宿泊したそうです。
     戦後も、宿帳には、岸首相をはじめ政界の大物が名を連ねていたそうです。
     それが、あなた、つい最近「英国スタイル」のホテルに変身しちゃったのです。
     その理由については、ホテルの公式サイトには書いてありません。しかし、たしかに「至れり尽くせりのサービス」は、洋風のホテルになっても変わっていません。
     私としては「大満足」でした。
     
     ああ、一日で10日分くらいの経験をした日でした。


    [No.5034] 伊予のいい町 14 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/05(Sat) 06:21
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    画像サイズ: 640×439 (96kB)
     道後温泉

     博物館の帰路、道後温泉街を歩いてみました。
     もう、感動しました。「道後温泉街」そのものが、一つの「テーマパーク」になっているのです。
     旅館街と、アーケード商店街がメインなのですが、この商店街では、表から見えるところへは、「風俗営業っぽい店はない」のです。また、SだのDというチェーンのコーヒーショップはなく、MだのKというチェーン・レストランも見かけませんでした。地元の産品を売っているお店が多かったのです。ただしローソンはあります。私も「伊予木綿」の服を買いました。あっそれから、さつま芋の「芋けんぴ」も。
     それと「シャッターを締めた商店」が目につかなかったのにも感動しました。
     もう一つ、お客さんの中に「家族連れ」「若い人」「外国の方」が多かったのです。
     そういう方が、宿屋さんの浴衣を着て買い物を楽しんでいる、昔ながらの温泉街の風景がよかったです。

     じっさい、立派なアーケードがあっても、どこの町にもあるチェーン店ばかりだと、折角よその町を見物しにきた意味がなくなり、がっかりします。また、自分も「年寄り」の分際でこんなことをいうと叱られそうですが「ドコソコ老人クラブ御一行様」ばかりでは淋しいです。
     その点、ここは立派です。
     アーケードの外では和風旅館の佇まいがいいです。また「坊っちゃんカラクリ時計」も楽しいぞなもし。その他の風物も「温泉と俳句のまち」というコンセプトで統一されているような気がしました。


    [No.5033] 伊予のいい町 13 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/04(Fri) 06:53
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    画像サイズ: 640×359 (96kB)
     道後温泉へ

    「伊予の旅」、締めは「道後温泉」です。
     大洲から「アンパンマン特急」で松山駅へ。伊予鉄(路面電車)で道後温泉駅へ行きました。
     この街の市内交通は、網の目のように張り巡らされた「伊予鉄」にまかせてあるようです。
     路面電車のゆっくりとしたテンポは伊予の人たちの「生活のテンポ」とあっているように感じました。まさに「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」の気分です。
     この路線は、お堀端、坂の上の雲ミュージアム、道後公園などの脇を通ってくれますので、車窓から市内を見物させていただくことができました。

     さて、ホテルに荷物を置くと、「松山市立子規記念博物館」へ急ぎました。ウェブに「受付は16時30分まで」とあったように記憶していたからです。
     正岡子規、1867年、松山市の生まれです。
     俳人であり、歌人であった、のぼさん(本名は昇)。35歳で脊椎カリエスのため逝去。
     10年間、辛い病床にありながら、母上と妹さんの、温かい家庭介護のもと、常に多くの友達が病床を取り囲んでくれていた、のぼさん。
     苦しい病に耐えているという悲壮感は感じられず、むしろ淡々と「見たものを見たように」詠んでおられたように感じられます。そして、そこには暖かさとユーモアが漂っている。このあたりは、やはり「伊予のお方ぞなもし」。
     恥ずかしながら、ワタクシメも、メロウ倶楽部の俳壇の隅で駄句を作っております「俳号・宇宙人」ということもあり、子規記念博物館にはなんとしても来たかったのです。
     そして、もう一つ。愛媛県出身の俳人は、実に多いのです。内藤鳴雪、高浜虚子、河東碧梧桐、松根東洋城、中村草田男、石田波郷、きっと、もっとおられることと思います。
     (序でながら「漫画家」には四国の方が多いのですが、特に愛媛県出身の方が多いみたいです)
     
     ここでも、受付の方が親切でした。その上、入場券のシニア割引があり、500円の半額の250円にして頂けました。何か申し訳ないみたいです。
     展示を見ての感想ですが、あの子規の背景として「明治という時代」と「伊予松山の風土」があったのですね。多くの仲間、サポーターがいてくれたこと。これも「幸い、周囲に仲間がいた」のではなく、子規の側に、多くの仲間を集める「何か」があったのだと思いました。
     子規大好き人間のわたしとしては、そういう子規への思いが、今度の旅と、この博物館の見学によって一層確かなものになったような気がしました。


    [No.5032] 伊予のいい町 12 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/03(Thu) 07:35
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    画像サイズ: 640×351 (94kB)
     伊予大洲「臥龍山荘」

     レンタカーで親切なオバサマお勧めの食堂と「銘菓・しぐれ」の美味しいお店は行くことになった、お二人さんとは、赤煉瓦館の前でお別れしました。

     私のお昼は、赤煉瓦館の前の「油屋さん」で。
     建物も、なかなか立派でしたし、見晴らしのいいお店でした。「南予の鯛めし定食」をいただきました。1100円ですが、煮物や汁物もついていてお味も結構でした。
     しかし、しじみ汁とは別に、黒っぽいだし汁の中に卵の黄身が浮いているお椀があったのですが、このいただき方がわかりません。途中で気がいたのですが、御飯の上に鯛のお刺身を乗せて、その上に玉子と出汁をかけていただくーーーというのが正解のようでした。

     じつは、お料理の写真を撮ろうとカメラを出したのですが、小心者の私は、前の席の方からの強い視線を感じて大急ぎで引っ込めました。(どうやら東京からの熟年女性の団体だったようです。もちろん、彼女たちをカメラに収めるつもりは毛頭なかったのですが)
     
     さて、お腹もいっぱいになったところで「臥龍山荘」へ向かいます。といっても、油屋さんから4−5分のところです。
     臥龍山荘は「国の重要文化財」であり、ミシュランガイドブックの「一つ星」でもあります。
     ざっと降った雨も上がりました。
     大洲を流れる肱川のほとりにあって、しかも三千坪の敷地の中に、臥龍院・知止庵・不老庵の粋を凝らした建物があります。
     内子町にも木蝋で財を成した方がおられたわけですが、この町にも、同じような富豪、河内寅次郎さんという方がおられて、その方が構想10年、施工4年の歳月をかけて建設し、明治40年に完成したのです。
     ここにも、内子町の「内子座」同様、受付には「自分の仕事を愛してやまない」「臥龍山荘の良さを、なんとしてもお客さんに伝えたいという気持ちでいっぱい」の女性の方が待っておられました。そしてここでも、その時間帯の来館者は私一人でした。(事業主体は「大洲市」、入場料は500円です)
     「臥龍院は、撮影禁止ですけれど、お庭は、写真を撮っていただいていいですよ。どうぞ、ゆっくり見てくださいね。それから雨の後で滑りやすいところがありますから気をつけてくださいね。」といってくださいました。
     
     大工さんの仕事が冴えています。主屋の臥龍院には、お茶の千家御用達の職家「千家十職」と呼ばれる名工達も築造に携わっているとのことで、全体に、素人目にもその「奥深さ」と「遊び心」がわかる素晴らしい建物とお庭でした。しかし、この建築を仕切る「大工の棟梁」に抜擢された中野虎雄さんは当時30歳の若さ。こういう若手を抜擢した河内寅次郎さんもすごい、明治という時代もすごいな、と思いました。川に面している不老庵では、障子を開け放った廊下から川向うの景色を眺めることができました。
     もちろん、雨上がりのお庭は、それ以上に素晴らしかったです。「ああ、来てよかった」と思いました。


    [No.5031] 買ってきたもの 投稿者:男爵  投稿日:2016/11/03(Thu) 05:26
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    画像サイズ: 500×328 (26kB)
    >家に帰ってから
    >買ってきたものを整理してみました。

    ヌテラ(Nutella)は、ヘーゼルナッツペーストをベースに砂糖、ココア、脱脂粉乳、香料、乳化剤などの材料を混ぜ合わせた、チョコレート風味の甘いスプレッド。

    駅前の店に売っていたのは
    いつも買う大きさの3倍くらい。(値段は倍くらい)

    豆を使ったブラジルの伝統的な 料理「フェイジョ アーダ」は
    モツが入ったものは味が強烈で食べ慣れないと苦痛です。


    [No.5030] 買ってきたもの 投稿者:男爵  投稿日:2016/11/03(Thu) 05:19
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    画像サイズ: 800×405 (60kB)
    家に帰ってから
    買ってきたものを整理してみました。

    結局は甘いお菓子が多かったようです。


    [No.5029] アイスバー 投稿者:男爵  投稿日:2016/11/03(Thu) 05:15
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    画像サイズ: 637×252 (26kB)
    暑いので
    駅前の店で冷たいものを買いました。

    これは浜松で作っているようです。


    [No.5027] 伊予のいい町 11 投稿者:マーチャン  投稿日:2016/11/02(Wed) 08:09
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    画像サイズ: 640×465 (95kB)
     伊予大洲へ

     大洲は、内子町より少し規模の大きい町です。もともと城下町で「伊予の小京都」と呼ばれています。
     「わたしの城下町」という感じでしょうか。誰もが心に描く「古い町」です。
     東京で生まれて「天領」の企業城下町で育った私でさえ、下を流れる川(鉱毒で汚れていましたが)の流れと、白壁の家(鉱山会社のエライさん用の社宅でした)の風景は、それなりの「わたしの城下町」です。
     この町も観光スポットは、町からかなり離れています。バスは2時間に一本くらいしかなく、また、タクシーのお世話になりました。タクシーは、7−8分で「まちの駅」というところへ連れて行ってくれました。
     ここには、観光センターもあり、町の地図なども頂けました。さっそく、そこからすぐ近い「おはなはん通り」へ行きました。
     伊予大洲が観光地として全国にその名を知られるもとになったのは、昭和41年にNHK朝の連続テレビ小説として放送された「おはなはん」のロケ地としてなのです。林 謙一さんの原作では徳島市なのですが、ロケは古い町並みの残っている大洲で行われました。幸い、大ヒットしたので、大洲としてはここをトコトン町の観光資源として活用している感じがあります。なにしろ「防災行政無線の時報も「おはなはん」のメロディーだそうですから。
     「おはなはん通り」は、城下町らしい趣味の良い作りになっています。
     といっても「あっ」という間に通り過ぎていく短い通りですが。

     さて、次は「おおず赤煉瓦館」へ行こうと思いました。町の見どころは比較的かたまっていますし、午前中という時間帯は歩いている人も少ないので、観光客同志の交流も生まれます。私の場合も、熟年のご夫婦の奥さんのほうから「あれっ。またお会いしましたね」と声をかけられました。
     「こんどは、どちらへ?」「赤煉瓦館です」「じゃ、ご一緒ですね」「ご一緒に歩いてみましょう」などと会話を交わしながら、歩きました。
     この方々も、なかなか精力的に歩き回られる方々らしく、今朝、レンタカーで、愛媛県西端の佐田岬までいってこられたとか。歩きながらおしゃべりをしていたら右折すべきところを通り越して町外れまで来てしまいました。私も一人のときは注意しながら歩くのに人さまとご一緒だと地図も見ないで安易に歩くのだな、とおかしくなりました。

     「どなたか、土地の方に、道を伺ってみましょう」―――と相談していたら向こうからオバサマが歩いてこられました。
     カミサマのお導きか、この方、大洲のことなら何でもご存知、そして大洲を心から愛しておられる方でした。
     単に「おおず赤煉瓦館」への行き方だけでなく「他に何処を見るべきか」「お昼お勧めスポットは」から「銘菓・しぐれ」の美味しいお店まで、多少の「独断と偏見」も交えながら熱心におしえてくださいました。(一人旅のいいところは、このように旅行者同志や、土地の方と「交流」が出来ることでしょうか)。


    [No.5026] 帰ります 投稿者:男爵  投稿日:2016/11/02(Wed) 05:14
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    画像サイズ: 500×375 (33kB)
    > レストランの人が言っていたのですが
    > 日中の電車は少ない。1時間に1本なのです。

    > もう少し増やしてくれたら....

    改札口はPASMOカードで
    簡単に通過。


    [No.5025] 帰ります 投稿者:男爵  投稿日:2016/11/02(Wed) 05:11
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    画像サイズ: 899×568 (71kB)
    > 効率よく歩くには、アドバイスが必要。
    > ちょうど昼食の時間なので、ブラジル料理のレストランに入って
    > 食事をしながら、おすすめの店を紹介してもらうことにしました。

    > 駅で町の地図をもらってきたのですが
    > 店の人は、それを見ながら、こことここと等
    > 数店を教えてくれました。

    > 少ない滞在時間で、効率的に見て回り、買い物ができました。

    レストランの人が言っていたのですが
    日中の電車は少ない。1時間に1本なのです。

    もう少し増やしてくれたら....


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