特攻インタビュー(第3回) ・その3
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆海軍飛行科予備学生
--------志望通り海軍に入られた印象はどうでしたでしょうか? 予想していた通りか、それとも予想と全然違った感じでしたか?
江名‥我々の一期先輩の第13期飛行専修予備学生というのは、昭和18年10月1日に海軍に入っているんです。だいたい5000名です。 その人たちは、すぐに予備士官になりました。我々は12月10日に海軍へ入っております。第13期と第14期は2カ月くらいの違いしかないんです。片っ方(13期)は志願兵で、我々(14期)は徴兵です。我々徴兵組は、陸軍とのバランスもあったと思いますが、水兵教育をする海兵団へ最初入ったわけです。私は本籍が岐阜県ですから、呉鎮守府の大竹海兵団に入りまして、一番下の位の二等水兵を2カ月間やりました。兵隊の教育を受けたわけですね。ですので、初めはどうして前期の者がいきなり士官待遇で、我々が水兵なのかと不平を言いましたけどね。その水兵の生活を2カ月間やったことは、後々、私はいい経験だったと思いました。
--------水兵から、すぐに予備士官になられたのですか?
江名‥ええ。陸軍も海軍もそうですけども、非常にパイロットが不足していたんですね。もう昭和18年になりましたら、開戦以来のパイロットはほとんど戦死して、早急にパイロットの養成が必要だということで。海兵団ですぐに予備学生の試験がありましたが、大半は飛行科に持っていくという海軍の方針があり、目の悪い者以外は、ほとんどが飛行科に選ばれました。もっとも予備士官の試験に受からなかった人も一部おりましたが。そこで先ほどの第13期が5000名、私たち第14期3000名がパイロットとして飛行科予備学生になったわけです。
--------飛行科予備学生になられて、海兵団から航空隊へ移動されたのでしょうか?
江名‥昭和19年1月31日に海兵団卒業。2月1日に茨城県の土浦海軍航空隊へ入隊。予科練で有名な航空隊です。そこで今度は厳しい士官教育を受けたわけです。
--------土浦航空隊では、具体的にどんな教育を受けられたのでしょうか?
江名‥まず士官としての「躾」ですね。本職の海兵は3年がかりで士官教育をするわけですが、私たちは2月から5月までの、わずか4カ月で士官に叩き上げられました。非常に厳しい士官教育でした。と同時に飛行科としてのベーシックな勉強、発動機、通信、飛行機に関する諸々の座学をそこでみっちり叩き込まれました。
--------まだ、操縦や偵察などに振り分けられていなかったのですね。
江名‥そうです。振り分けは卒業のときでした。飛行科予備学生で、操縦と偵察ともう一つ要務という地上勤務がありました。従来は飛行科の士官が要務の仕事をしていましたけど、それが対応しきれなくなり、海軍で新しく専門職として飛行要務という部門を作って、我々、飛行科予備学生の中の約1000名の者が地上勤務の飛行要務に回りました。飛行要務は鹿児島海軍航空隊で訓練を受けていました。また、土浦を昭和19年5月に卒業するときに少数が要務へ行きました。後は操縦と偵察に分かれて6月からそれぞれ次の任地に行きました。
--------自分の希望の専門職は叶えられるのでしょうか?
江名‥一応、希望も出しますけれど操縦技術に通するか、あるいは通信・航法・偵察に適するか、適性を卒業段階で振り分けられます。非常に面白いことに、土浦では易者による鑑定がありました。易者が操縦か偵察か、その判別にかなり関与していました。山本五十六元帥が始めたらしいんですが、実際に我々も易者のところで面接受けましたからね(笑)。何か動物的な勘で判るらしいんですね、どちらが適するかと(笑)。
--------江名さんは、希望はどちらでしたか?
江名‥操縦でした。はい、やはり憧れですね、パイロットは。