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特攻インタビュー(第3回) ・その9

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通常 特攻インタビュー(第3回) ・その9

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/2/20 7:45
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 海軍航空特攻 江名武彦 氏

 ◆神風特別攻撃隊「正気隊」編成(1)

 --------大井から百里原に移る時は、もう特攻は決まっていたわけですか?

 江名‥ええ。もう特攻作戦でしか戦果を上げる事が難しいという判断が大本営にもありました。大井から我々50名が百里原海軍航空隊に昭和20年3月17日に赴任したんですけど、百里原を出る時にはもう特攻要員だということを我々も告げられておりましたし、百里原に赴任しましたら、百里空の司令から「お前達は特攻要員で来たんだぞ」と宣告されましたんでね。それなりの覚悟をさせられましたですね。

 --------赴任されるまで、特に悩んだとか動揺したということはなかったですか?

 江名‥そうですね……。

 --------同期の方と一緒に、そのことについて話したとか?

 江名‥選ばれた者はね、誇りっていうものがあるんですね。それで、選ばれたくないという気持ちもある訳ですよね。しかし、もう選ばれたということで、やはりそれは自分で割り切ると、内心の苦悩を選ばれた誇りで克服しました。選ばれなかった者は我々は後から行きますと。

 --------全員が特攻基地に送られた訳でなくて、まだ残った方もいらっしゃったのですね。

 江名‥ええ。第一陣は3割くらい出た訳ですかね。

 --------江名さんは、第一陣。

 江名‥はい。それで、二陣・三陣とどんどん出て行きました。第1次特攻要員に洩れた14期生も、1カ月後にはほとんどの者が各地の特攻基地に転出していきました。

 --------江名さんが特攻基地に行ったのは昭和20年の何月でしたか?

 江名‥私は4月20日に百里原から串良へ参りました。

 --------自分が出撃する番になると、気持ちも変わったりするものですか?

 江名‥気持ちが変わるっていいますかね。もちろん、個人で色々違うでしょうが。4月10日に飛行作業から飛行場へ戻ってくると、指揮所っていう所がありまして、そこへ必ず指揮官がいますから、行く時も戻ってきた時も報告するわけです。そこにボード、黒板があるんです。その日の飛行作業の順番なんかが書いてありまして、飛行作業が終わりますと、そこへ行って自分で消すんです、飛行作業が終わった後に。

 そのボードに第3次の特攻隊の編成表が書いてあったんですよ。それで私の戦友に「君の名前が載っているぞ、おめでとう」って言われました。私は、血の気の引く思いがしましたね。やはり本能的なものがね、その瞬間に出てくるんですね。生に対する本能を抑えるのが……人によって色々あると思いますけど、私は苦労しました。

 --------特攻隊への指名というのは、突然のような形で発表されるんですか?

 江名‥ええ、私たち九七艦攻「正気隊」の場合はそうでした。

 --------そのボードに一緒に出撃するペアの名前もあるわけですね?

 江名‥そうです。それでペアが初めて組まれました。翌日から特攻訓練を始めるわけです。

 --------特攻隊で出撃するペアというのは特別と言ったら変ですけども、顔合わせした時にはやはり、どんな人なんだろうと。

 江名‥そうですね(笑)。普通の実施部隊でしたらそういうペアは、かなり長期間一緒に乗ってるわけですね。だから人間関係ができるわけです。我々は短時間で人間関係を作らなければいけませんから、意思疎通を急ぎました。

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