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特攻インタビュー(第3回) ・その16

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通常 特攻インタビュー(第3回) ・その16

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/2/27 7:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 海軍航空特攻 江名武彦 氏

 ◆特攻用機材の実態

 --------ある陸軍パイロットの方が、特攻隊にまわされる機材というのは老朽機か壊れてもいいような飛行機ばかりまわされたから途中で不時着したり、落ちたりした人が相当いたんじゃないかと仰っていましたが、やはり、そういうことはありましたか?

 江名‥海軍の場合、特攻の主力の十航艦はもともと練習航空隊で、飛行機そのものが老朽化した訓練用の飛行機でした。私達が乗った二号機は支那事変で使っていた飛行機ですからね。ハワイの時に使った九七艦攻は三号機なんです。三号機は馬力が1千馬力以上ありますが、一号機は750馬力しかないんです。その一号機に800kgの爆弾では加荷重なんですね。

 だけど百里原の場合、第1次の「常盤忠華隊」は6機全部突入しました。2次の「皇花隊」は6機のうち4機突入しました。飛行機の老朽化っていうものは、あれです。優秀な飛行機ほど、最初に持ってってるわけですよね。だから我々の正気隊は、第1回の出撃の時は2機しか突入できませんでした。宇佐とか姫路の航空隊も同じ状況で、機体の劣化から離陸ができなかったり、不時着が多くなるようになりました。

 --------もう10年くらい前になるんですけど、私、串良基地に行ったことがあります。

 江名‥ああ!そうですか!

 --------長い一直線の道路があって、そこが昔の滑走路跡だと教えてもらいましたけど、今も当時とあまり変わらないという感じですか?

 江名‥そうですね。鹿屋は今、海上自衛隊の基地で滑走路はもちろん拡張しましたが、昔の基地の跡が残っています。第二国分は今の鹿児島空港ですけど面影は全くありません。串良の場合は、東西と南北の自動車道路が昔の滑走路です。私は毎年10月15日に串良の慰霊祭に行きますが、桜並木の道路に立ちますと当時のことを思い出します。

 --------近くにある地下通信室も入らせてもらいましたし、洞窟というか壕というか、そこにパイロットの人達が泊まっていたと聞いて、こんな所に寝泊りしていたんだなあと思って。

 江名‥結局、毎日のように空襲がありますでしょ。宿舎は危険で横穴に寝泊りするようになったんですね。私の時はまだね、夜間はあまり空襲なかったから、士官宿舎、ほんとバラックみたいな士官宿舎ですけど、そこに泊まっておりましたけどね。そこも、私が出撃した後、焼けてしまったようですけどね。爆撃で。

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