特攻インタビュー(第3回) ・その4
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆実施部隊への配属(1)
--------昭和20年3月、いよいよ実施部隊に配属されます。そのときのお話を聞かせて頂きたいと思います。
江名‥結局、フィリピンを失い、いよいよこの次は台湾か沖縄か、いずれ本土決戦ということになるということです。もうマリアナ沖海戦から台湾沖航空戦で、新鋭機ならびにベテラン・パイロットのほとんどが消耗してしまいました。昭和19年6月、アメリカがサイパンに進攻してきまして占領すると、日本本土まで3000kmくらいです。B-29が一度で楽に往復して日本本土まで爆撃できる圏内です。
このままでは日本が危機的な状況に陥るということで、それを防ぐべくマリアナ沖海戦という大きな海軍の作戦があり、そこで日本側が壊滅的な打撃を受けてしまいました。もう記憶は正確じゃないんですが、日本の海軍航空隊が373機ほど敵機動部隊へ出撃、そのうち350機くらいが撃墜されました。一方、アメリカ軍の飛行機は19機しか撃墜されていません。日本の航空隊はほとんど全滅ですね。日本軍側は航空母艦3隻を沈められました。それを当時、アメリカの兵隊は「マリアナ沖海戦の七面鳥狩り」と言ったそうです。七面鳥は非常に鈍重な鳥ですから、もう下手な鉄砲でも当たるという状態でして、それほど日本軍機が撃ち落されてしまったわけですね。
アメリカは非常に優れた最先端の電探(レーダー)技術を持っていまして、砲弾にもVT信管という電探が入ったものがありました。飛行機に命中しなくても機体に接近しただけで砲弾が炸裂します。日本軍機はその新兵器によって七面鳥のように撃ち落とされたのです。日本はアメリカにそんな強力な兵器があることを終戦まで知りませんでした。それ以後、アメリカ軍に押しまくられて、私たちの大井海軍航空隊でも、そこから新たに赴任した百里原海軍航空隊でもそうでしたが、老朽機ばかりで稼働可能な実用機が少なくなってしまいました。
私の行った百里原海軍航空隊は練習航空隊なんですが、急遽、昭和20年3月に実戦部隊に入れられました。それが十航艦です。内地にあったのは、西日本には字垣纏中将で有名な五航艦、東日本には三航艦がありました。それに十航艦が加わり、沖縄航空戦を戦うことになったのです。
--------百里原に到着してからは、九七艦攻(九七式艦上攻撃機)での訓練でしょうか?
江名‥はい。百里原空は艦攻隊と艦爆隊の2部隊がありまして、艦爆は2人乗り、艦攻は3人乗りです。それぞれ、艦爆、艦攻の隊に配属されたわけです。
--------それまで艦爆か艦攻か分からないのでしょうか?
江名‥全然わかりません。
--------百里原で初めて実用機に乗られたわけですけれども、初飛行のときの話をお聞かせ下さい。何回か飛行訓練はされたのでしょうか?
江名‥私が特攻指名を受けたのが、昭和20年4月10日です。実際の特攻出撃まで約1カ月ありましたが猛訓練をしました。九七艦攻は老朽機とはいえ実戦機ですから、練習機に比べると速力が速く、勝手が違っていて慣れるのに苦労しました。
--------3人乗りということで他に2人の搭乗員、当時「ペア」と称していた方達も百里原赴任直後に決まったのでしょうか?
江名‥ペアは4月10日、特攻編成になった際に決まりました。
--------それまでは日替わり交替みたいな感じでしょうか?
江名‥そうです。主に下士官が操縦席に着きまして、私が偵察席でいろいろ訓練をしました。当時、偵察員を訓練するための操縦員を「馬車引き」と呼んでいました (笑)。
--------希望していた操縦ではなく、偵察に回されたのですね?
江名‥はい。私が行った偵察の航空隊が静岡県の大井ですね、大井海軍航空隊。静岡県牧之原市にありました。今また新しい飛行場ができていますね。偵察の航空隊は徳島にもありました。
その2つの練習航空隊が、我々、第14期生が偵察教育を受けた航空隊です。私は大井海軍航空隊で、昭和19年6月から昭和20年3月まで教育を受けたわけです。