特攻インタビュー(第3回) ・その12
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆第1回目の出撃(1)
--------11回目の出撃となった4月28日のことを教えてください。
江名‥艦攻特攻というのは宇佐空と姫路空、それから百里原空の3隊で九七艦攻特攻隊が編成されたんですね。宇佐空と姫路空は五航艦で地元なんです。地元ですから、特攻隊員は串良にたむろしてたんです。その中から出撃の前日に指名されます。特攻隊員として指名されて串良に来て、串良で明日の特攻を指名されるわけですね。外様の百里原空の6機は次の作戦になると、全機出撃で必ず出される覚悟はしてるんですけど、宇佐空と姫路空の人達は前夜に決まるわけです。
前夜、翌日の作戦会議があります。翌28日は薄暮攻撃で昼間に発進することになりました。宇佐空、姫路空、百里原空の順で、我々、百里原空はいちばん最後でした。それで、いよいよ宇佐空と姫路空が発進して、百里原空の番になったわけです。一蓮托生を誓った6機でしたが、飛び立とうとしたところ、1番機・故障、2番機・故障、3番機が飛び立ち、4番機・故障、5番機、6番機と。だから3番機と5番機、6番機だけが離陸できたんです。
なぜ、そういうことになったかと言いますとね、初めて800kgの爆弾を着けたんですね。それで、エンジンをふかしましたが、百里原から長距離、串良まで飛んだ私達の老朽機は、飛行機の点火栓の汚れ、ピストンの磨耗、ガソリンタンク・油圧タンクの漏洩などがあったり、また電気系統が故障するとか、百里原空の九七艦攻の老朽化がそこで露呈されました。爆弾を積んで飛び立てないんです。
私は6番機だったんです。3番機と5番機と6番機だけが28日に離陸できたわけです。3番機、5番機は先に行き、ほとんど単機飛行になりました。単機で開聞岳を過ぎましたら、エンジントラブルが起きました。油漏れ。パッキングがちょっと悪かったんでしょう。油溢れで操縦席が真っ黒になりましてね。800kg爆弾は800m以上ないと落とせないんですね。高度が低いと自爆します。やむを得ず爆弾を抱いたまま、最寄りの知覧の基地に不時着しました。知覧の飛行隊長から、だいぶ叱られましたけどね(笑)。爆弾積んで降りたもんですからね。だから28日は、百里原空は6機列線にいて3機しか飛び立てず、そのうち私1機が知覧に不時着して、2機しか突入できませんでした。私の機の操縦員は特乙一期の梅本満二飛曹、電信は甲13期の前田長明二飛曹でした。