特攻インタビュー(第3回) ・その10
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆神風特別攻撃隊「正気隊」編成(2)
--------指名されてから出撃するまでは、1週間とか訓練期間が決められていたのですか?
江名‥いや、それは、鹿児島にある字垣長官の五航艦に進出するまでです。宇垣さんのところで、いつ出せって命令が出るんですね。そんなに期間は長くないです。私の場合は、4月10日に指名されて、百里原から串良に行く4月20日までの10日間でした。
--------特攻の訓練というと、具体的にどんなことをするのですか?
江名‥それまでの通常訓練とさほど違わないんですけどね。航法は海上に出ましてね、自分でコースを決めてそのコースの中を飛んで、自分の航法の腕前を磨きます。例えば私の場合、水戸の大洗を基点にして、三角形に太平洋に出て帰ってくるわけですけれどね。なかなかドンピシャと大洗に着けないんです、チャート通りには。そうすると、操縦員がニヤツと笑って「だいぶ外れましたな」なんて言われちゃいましてね(笑)。
また、爆弾を抱えて体当たりするわけですから、突っ込む訓練です。それから夜間出撃もありますから夜間の訓練です。これは非常に危険な飛行訓練です。全くやったことのない訓練でした。とにかく、その間は優先的に特攻機にガソリンをくれますからね。激しい猛訓練をさせられました。
--------爆弾を積んで突っ込むのですか。
江名‥ええ、艦攻特攻の場合、800kgの爆弾を積みます。爆弾を積んで訓練はしませんでした。800kgの爆弾は出撃する時、初めて積みました。
--------それまでは、錘みたいなダミーを?
江名‥何もつけません。つけないでやりました。
--------百里原空では特攻指令が続いて、戦友が次々と特攻基地に出撃したのですか?
江名‥私は4月10日に指名されたんですが、九七艦攻の第3次特攻なんです。それまでに1次、2次があったわけです。私達が百里原空に赴任して、1週間足らずで1次、それから4月の始めに2次、それで10日に3次ですね。3次で九七艦攻の五航艦作戦というか、沖縄作戦は終わりました。だから私達の3次が最後なんです、百里原空では。私の同期生2名が赴任して1週間足らずで1次に指名されました。その2人は4月12日に特攻戦死しました。
--------見送るものも辛いものでしたか?
江名‥そうですね。第1次の酒巻一夫君、川野博章君……。大井で私と同じ班だった川野君は明大のマンドリン部で音楽が好きでした。またアメリカ映画も詳しい男でした。彼は4月12日に串良から出撃して特攻戦死したんですけど。百里原から進発の日、彼は非常に朗らかな陽気な男で、自分の悲壮感っていうものを全然外に表さないで機上の人になりました。
昭和7年のアメリカ映画に「ラ・モーナ」という歌があるんです。「ラ・モーナ~」 って始まる曲なんですけどね。その時、彼はその歌を口ずさみながら機上の人になりました。内心はやはり悩んでたはずなんですけどね。そういった心の中の葛藤を全然見せないで飛び立った彼のことが、今までも心に残っています。