特攻インタビュー(第3回) ・その21
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆鎮魂と慰霊
--------戦争が終わった後、江名さんは大学に復学されたのですか?
江名‥大学1年の者は大部分、大学に戻りました。私も大学に復員届けに行きましたら、「もし卒業の免状が欲しければやるよ」と言われましたけどね。1年で学徒出陣ですからね、勉強らしい勉強はしておりませんでした。だから基礎的な勉強もしてみたいという事で、親の許しを得て大学に戻りました。
だけど、その時は食糧難でしょ。私は東京に自宅がありましたから、弁当にサツマイモあたり持って行きましたけれど。ビール瓶に重湯を詰めて飲んでる学生もいましたよ。そういう時代でしたけれども、私は復学して良かったと思います。そのまま社会に出たら、学術書を読む時間もなかったと思います。
--------ペアの方とは戦後、お会いになりましたか?
江名‥会いました。2人とも80歳を過ぎて、今は体調が悪く、黒島とか串良の慰霊祭には残念ながら出ることは難しいですね。大方の戦友は亡くなっております。黒鳥の柴田さん、中村憲太郎さんも大分前に亡くなりました。だから、マッカーサーの言葉じゃないですけど、私どもは「fade away」する世代なんですけど(笑)。まあ、かろうじて残り時間を大事にしておりますけど(笑)。
--------戦友とお会いした時には、戦争の時の話とかされるんですか?
江名‥そうですね、やはり戦友っていうのは学生時代の友人とは違い、どうしても青春に嘗めた戦場体験の話が中心になります。今でも同期生の会合があちこちでありますが、そういう当時の話が中心です。懐かしく、いつも同じ話をしています。またか!と思いますけど、また聞いちゃうんですね。しゃべることがまたね、その人にとってのガス抜きなのかもしれませんけどね。みんな、よく同じ話をしますよ。それは変わりばえはないです。だって、引き出しが一つしかないんですから。そんな話を、やはり会うとするんですねえ。
--------特攻の話も出るんですか?
江名‥特攻隊については仲間ではします。ただ、部外者とはいたしません。特攻の話は、あまり私はしたくないし、しない人の方が多いかもしれませんね。
--------ご自分の正直な気持ちとしては、あの時死ななくて良かったと思われます?やはり、複雑な気持ちですか?
江名‥亡くなった戦友は20歳前後でした。それから私は65年生きてるわけですよ。この違い、不公平な配剤はちょっと言葉に表せませんね。こんなに不公平なことはないと思うんですよ。個人的には生き残って良かったと思いますが、亡くなった戦友に対して申し訳なく思います。ですから私どもは、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会の春の慰霊祭、それから9月23日の世田谷特攻観音の秋季慰霊祭に、ひたすら亡き友の鎮魂、慰霊をしにお参りしています。