特攻インタビュー(第3回) ・その23
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆日本人のマジョリティ
江名‥まあ、言えることはですね。当時の学徒は、非常に価値観が多様だったということです。私なんかはまだ大学一年ですからね。マルクスなどの禁書は、ほとんど読んでおりませんでした。手に入りませんでしたしね。禁書を手に持ちますと特高に捕まる時代でした。我々の仲間、学徒出陣組でも、そういったマルクスを勉強している男がいました。また、一方ではですね、国粋主義的な男もいました。思想は右から左まで非常に価値観が多様でした。
価値観は多様でしたが、日本人のマジョリティはですね、昭和16年12月8日、開戦の時に、みんな声を上げて「万歳!」を叫んだんですね。12月8日に詩人の高村光太郎は、こんなこと書いております。「記憶せよ。12月8日。この日、世界の歴史改まる。アングロサクソンの主権、この日、東亜の陸と海とに否定さる。否定するものは彼等の『ジャパン』。渺渺たる国にして、また神の国たる日本なり。これを知らしめたもう秋津御神なり」
それほどね、当時の日本人のマジョリティは、あの太平洋戦争を、12月8日を万歳でもって迎えました。もう1人、作家の伊藤整。彼がやっぱり、その日こういう事を書いています。「私はこの戦争を戦い抜くことを、日本の知識階級は大和民族として絶対に必要と感じている。私達は彼等のいわゆる黄色民族である。この区別された民族の優秀性を決定する為に戦うのだ。ドイツの戦いとも違う。彼等の戦いは同類の問の利害の争いの趣があるが、我々の戦いは、もっと宿命的な革新の為の戦いと思われる」と。こういう事を伊藤整が言ってるんです。
当時は、帝国主義の白人社会だったんですよ。その中に黄色(イエロー)の日本が、後発の帝国主義国家として台頭してきました。この「イエロー」を叩き潰すことが白人社会の最大命題だったんですね。「ジャップを叩け!」ということがヒトラーの「Mein Kampf」(我が闘争)」にも書いてあります。黄色人種に対する侮蔑が。唯一、帝国主義の仲間に入った日本を叩き潰せといことを、当時の日本人も感じていたんですね。だから、こういう伊藤整の文章になったんで。当時の日本人はいろいろ戦争に対する個人的な見解がありましたけど、あの戦争に突入したことによって、自分の持っている思想よりも、立ち上がった黄色人種の先頭に立つ日本が、何としてもこの戦争で勝利を遂げたいという思いがあったと思います。