特攻インタビュー(第3回) ・その18
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆陸軍小型潜航輸送艇現る(2)
--------そうしている内に陸軍の小型輸送艇というか、いわゆる陸軍の潜水艦が浮き上がってきたのですか?
江名‥6月12日に陸軍の特攻機が一機、特操二期の、柴田さんの一つ後輩の中村憲太郎さんという方ですけどね。その方が九七戦で黒鳥の片泊に不時着しました。これで黒鳥には私と陸軍の柴田、安倍、中村の4機落ちたんですね。また、黒島付近の海に海没した特攻隊員も落ちていたと思います。
7月17日の早朝、いつも朝ね、私は海岸が見える断崖のような切り立ったとこから海を眺めましてね。船が通らないか見るわけですけど、通らないんですよ。というのは、海中にはアメリカの潜水艦がいるわけです。通れば沈められちゃうでしょ。だから、日本の船は全然通らないんですよ。そうしましたらね、17日の朝5時ごろですかね、北の方からウエーキ(航跡)を立てて、私の住んでる黒島の大里めがけて船が近づいてきました。それでもう、いよいよ敵船が上陸かと村中大騒ぎとなりました。島民はみんな山へ逃げました。
柴田さんに避難を勧めたところ「俺は動かない」と。彼はそこで自決するつもりだったんですね。柴田さんがそう言いますから、私も柴田さんの家の側でずっと見張ってたんですけどね。船は小型艦で砲身を島に向けていました。しばらく睨みあっていましたらね、小型艦から日章旗をパッと出したんです。艦から手旗で艀を出せっていう信号がありました。
私は区長と一緒に艀で艦に行きましたらね、マルユの10号艇という陸軍の暁部隊の輸送潜航艇なんです。松岡中尉という艇長がいましてね、お聞きしましたら、これから沖縄作戦に行くので夜まで半舷上陸したいという要望でした。区長は「是非、上がって下さい。食料は乏しいので持参をお願いします」と言われ、それで松岡艇長と10数人が上がってきました。そこで洗濯したり、風呂へ入ったりしてました。
その時に、沖縄が陥ちたことを知らされました。いよいよ本土決戦になると。この島も戦場になる日が近いと覚悟しました。その時、艇長に、帰りに寄れたら柴田さんだけでも内地の病院に入れて上げてくださいと頼みました。艇長は、これから沖縄へ行くので約束はできないという返事でしたが、帰れたら寄りましょうと、船にあった医薬品とか食料を柴田さんに少し置いていきましてね。その夜、出航して行きました。8月の半ば過ぎにならないと帰れないとも言われました。
そうしましたら7月30日早朝、同じ船が黒鳥に向かって来ました。ああ、これはこの前の艇だという事で安心して、すぐ伝馬船を出して行きましたら、作戦が終わって無事に帰って来れた、ついては船のスペースがあるから、ここにいる搭乗員全員を救出すると。片泊にいた中村憲太郎さんにすぐ連絡しました。柴田さんは担架に乗せて5人艇に乗って、暁部隊の基地である長崎県の口之津へ上陸しました。その時は複雑な思いだったですね、島民に対して。これから戦場になるというその島に、島民を残して逃げて行くようで、それまで受けた恩がありますでしょ。非常に辛かったですけどね。
帰ったら本土決戦があることは分かっていても、内地に帰れるという嬉しさが出ちゃうんですよね。7月30日に島を離れましたけど、後で聞きましたら、島民はその日から、みんな山ごもりしたといいますね。黒鳥が終戦を知ったのは昭和20年11月なんです。というのは終戦になっても内地から船は来ないでしょ。11月に初めて復員兵を乗せた船が黒島に帰ってきて知ったんですね。膵でみんな迎えに行ったんですけど、復員兵がたくさん乗って帰ってきたので日本が勝ったと思って、みんな万歳したそうですよ。そしたら、敗戦を告げられたということでね。だから、黒島の住民が敗戦を告げられたのは11月なんです。