特攻インタビュー(第3回) ・その5
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編集者
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海軍航空特攻 江名武彦 氏
◆実施部隊への配属(2)
--------偵察の訓練というと、具体的にはどのような内容なのでしょうか?
江名‥機上での偵察員の必修課目は、まずナヴイゲーターとしての航法、次に爆撃・射撃、それから通信。通信は非常に大きなウエイトを占めていました。次に電探、それに気象・天測。そういったものを機上作業練習機「白菊」に乗りまして訓練を受けるわけです。
--------航法にしろ、天測にしろ、一つ一つがものすごく難しいと思うのですが、簡単に習得できるものなのですか?
江名‥いや、私もなかなかね、苦労しました(笑)。操縦員もそうだと思うんですけど、地上で自分がやれると思った能力がですね、空中では半分くらいの力しか発揮できないんですね。文字通り「上がっちゃう」んです(笑)。地上で操縦作業ができましても、空中ではその能力をなかなか発揮できないんですね。非常に失敗ばっかりで、なかなか大変でございました。
--------昭和19年となると、燃料事情も相当悪くなっていたと思うのですが、そういう飛行訓練は頻繁に出来たのですか?
江名‥まさに、その間題でございますけどね。致命的だったのは昭和19年10月の台湾沖航空戦からフィリピンにアメリカ軍が上陸してからですね。南方からの重要軍事物資が途絶えてしまいました。そこでもうね、本土の陸海軍の航空隊の燃料、それから海軍の艦艇の燃料が非常に不足して参りましてね。実戦部隊に優先的にガソリンを供給しまして、練習航空隊はかなり量的に制限を受けまして十分な訓練は受けることができませんでした。
操縦員も偵察貝もそうですけど、まず一人前の搭乗員になるには300時間程度の訓練を受けないと不十分だと言われていたんです。けれど、私共が実戦部隊に行く昭和20年の3月で100時間も乗ってないんですよ。ですから、本当に何て言いますか、新米の未熟なパイロットですね。もちろん、機材も不足していました。一番の問題は燃料ですけど、十分な訓練を受けることができませんでした。
--------やはり、そういうのはご自分としても悔しいですか?
江名‥そうですね。教育部隊に入ったのに飛行作業をしないで、その時は座学か何かするわけですけどね。座学だけでは連度が上がりませんから、やはり、もどかしく思いましたね。
--------特別攻撃隊、特攻のことは練習航空隊にいる間に、既にご存じだったのですか?
江名‥特攻の話はですね、私が大井航空隊で訓練を受けている時に、我々の一期先輩の13期生が実施部隊に転出しておりますから。その人達は台湾沖航空戦やフィリピンの作戦にも参加しております。で、私達はまだ訓練中でございましたので、大井航空隊で不足した燃料の中で、訓練を続けていたということでございますね。
--------大井航空隊にいらっしゃった時は、特攻というのはまだ、それ程身近なものではなかったということですか?
江名‥身近なものではありませんでしたけど、昭和19年の10月25日でございますか、関大尉が予科練の甲10期生を列機として引き連れて、神風特別攻撃隊の第一号として出撃しました。それが大々的に報道された時には、我々もその覚悟を要請されましたですね。