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特攻インタビュー(第3回) ・その19

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通常 特攻インタビュー(第3回) ・その19

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2012/3/3 6:57
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298

 海軍航空特攻 江名武彦 氏

 ◆陸軍小型潜航輸送艇現る(2)

  --------陸軍の 「マルユ」という潜水艦に乗られたという事なんですけど、「マルユ」自体が珍しいもので、それに乗った経験のある方は多くないと思います。乗員は全員、陸軍の軍人さんばかりなんですか?

 江名‥そうですよ。

 --------海軍軍人だった江名さんとしては、不思議な感じではなかったですか

 江名‥マルユ10号艇の方が歌う軍歌は海軍の歌でした。船乗りですから、そうでしょうね。

 --------どんな歌を?

 江名‥何だったかなあ (笑)。ちょっと今、思い出せませんけどね。海軍の軍歌を歌っていたのは確かです。

 --------操艦も全く問題ありませんでした?

 江名‥小さい艇でしたからね。私も潜水艦なんて初めて乗りました。飛行機がガブるのは、ある程度慣れていましたが……「ガブる」とは風でもって揺れるやつですね。マルユ艇は夜間、水上を走ります。昼間は敵の空襲に遭いますから潜るんですね。時化た海上を小さい船が走るもんですからね、艇のローリング、ピッチングで七転八倒しました。

 潜水艦に乗り込みましたらね、黒島よりはるかに美味しいものを出してくれたんです。缶詰ですけどね、ムシャムシャって食べたんですけど。まあ、汚い話ですけど、全部戻しちゃいました。もう苦しいんです。海軍に入って、潜水艦だけは乗らなくて良かったと思いましたけどね(笑)。狭い艇の蚕棚部屋みたいなところに寝かされました。本当に辛い思いをしました。

 --------何日くらい、マルユに乗っていたんですか?

 江名‥7月30日に艇に乗り、8月1日に口之津に入ったので2日間ですかね。甑島に寄りましたけど、それまでは船内を出られませんでした。

 --------部下の方も含めて、みんな船酔い状態だったんですね。

 江名‥みんなそうでした。あれですね、海軍もだらしなかったです(笑)。陸軍の中村さんも七転八倒してました。もうね「こんなんなら帰ってこなくてもいい」なんて言ってましたけど(笑)。時化のすごさを思い知らされました。

 --------そして、島原半島の口之津へ。

 江名‥長崎県の口之津に暁部隊の基地がありまして、そこへ入港しました。着きましたら暁部隊が歓迎してくれまして、寮が雲仙にあるから船酔いを治しなさいと1泊させてもらいました。柴田さんは、そのまま大分の陸軍病院へ直行しました。中村少尉は福間に行くので、雲仙で翌朝別れました。久しぶりにご馳走を頂きました。

 --------その後は3人一緒で行動されたのですか?

 江名‥3人でずっと百里原まで一緒の行動です。もうとにかくね、どこに行って良いか判りませんでしょ。だから翌日は佐世保鎮守府に行きまして報告したんです。そしたら、五航艦の司令部が今、大分に移っているので大分に行けと言われました。空襲の最中、列車に乗りましてね、大分まで行ったんです。そしたら、大分市は1週間くらい前に大空襲に遭いましてね、ほとんど壊滅状態でしたね。それで基地に行って五航艦の司令部に行きまして、特攻の顛末を報告しました。

 --------その後は百里原に戻れということに?

 江名‥ええ。そこで「お前の九七艦攻特攻は5月11日をもって解隊した。それぞれ皆、原隊に帰っている。だから、お前もすぐ原隊へ帰れ」と。それで「あ!お前達は二階級特進になってるぞ」って言われましてね(笑)。すぐこの世に戻りまして、江名「大尉」から江名「少尉」に落ちまして(笑)。

 それから原隊の百里原に向かったわけですけれども、8月7日に広島の街を歩きました。一発の爆弾で10万人の都市が消えたのをこの目で見て、戦争は人類に対する最大の罪悪と思い知らされました。

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