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被爆55年 忘れられないあの日 4 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 4 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/10/20 7:59
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
きのこ雲

「ピカッ ドーン」

 その瞬間、「きのこ」の形をした雲が発生し、それは、次第に傘を広げて、まるで悪魔(あくま)が牙(きば)をむき襲(おそ)いかかってくるような大きな傘となっていきました。

 広島と長崎の両市会わせて死者約二十万人、その六十五%は子供と、女、年寄りでした。

 その内、四十%は未だに行方不明のままです。
 何千年の人類の歴史の中で、これ程大きく、悲惨(ひさん)な出来事があったでしょうか。

                
 この詞画集は広島・長崎の悲劇(ひげき)を体験した神奈川県在住の被爆者が、二十一世紀に向けて、描(えが)き、語り遺(のこ)す真実の証言です。










ピカッ ドーン

   八月六日 広島
       十三歳 女学生
                 
 空襲警報(くうしゆうけいほう)が解除(かいじょ)になり、いつものように敵機(てっき)は行ってしまったと、ホッとした時「飛行機が飛んどる。B29じゃ」「アッ、落下傘を落とした」と友の声。
                         
 その瞬間、何万発ものマグネシュームが破裂(はれつ)したような黄橙色(きだいだいいろ)の閃光(せんこう)が、稲妻(いなずま)のように走った。ハッとその方を向いたとたん、「ドーン」ともの凄(すご)い衝撃(しょうげき)を受け、ガラス混じり、上砂(どしゃ)混じりの爆風が工場の中をどっと吹き抜け、わたしは床に叩きつけられた。

 気がつくと、まともに受けた曝風による鼻血で、制服は真っ赤に染まり、ガラスの破片で、左手の内側がえぐられて血が吹き出し、小さな破片が身体(からだ)中に突き刺さっていた。




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