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被爆55年 忘れられないあの日 19 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 19 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/7 9:21
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
「お母さん!」と叫ぶ子供

     八月十日 長崎
         十七歳 中学生

 「お母さん!お母さん!」と泣き叫びながら、その子は必死に母親を探していた。

 五歳位であろうか。

 わが子を探すお母さん。その人も、服はボロボロに焼け、顔は真っ黒に汚れていた。

 「この子は私の子でしょうか‥‥」変わり果てた子供の姿に、果たして自分の子供かどうか判らない様子であった。

 私も、行方不明(ゆくえふめい)の従姉妹(いとこ)を探(さが)しまわったが、つい遂に発見できなかった。










「原曝症」次は自分か
               
     八月九日 長崎
         十五歳 女学生

      
 夕方、兵頭(ひょうどう)さんが青白い顔をしてふらふらと私の所に近寄ってきた。

 「家に無事でいることを知らせてほしい」とのことで私は家族に電話をいれた。当時としては珍しく彼女の家には電話があったので、すぐ連絡がついて助かった。

 顔色は悪かったが彼女も見たところ変わった様子はなかった。

 お互いに無傷で助かったことを「よかった」「よかった」と手を取り合って喜んだ。

 しかし、秋風の吹く頃に、彼女は原曝症で亡くなった。
                  
 恐ろしい何かが私の身体も蝕(むしば)んでいるかも知れない。

 「次は自分の番ではないか」と、毎日、毎日生きた心地(ここち)がしなかった。

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