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被爆55年 忘れられないあの日 7 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 7 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/10/23 15:11
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
被爆七日目、臨時救護所で
          
         八月十三日 広島
              十八歳 少年兵
  
 大火傷(おおやけど)を負った少年兵たちは、爆心地から七キロ離れた小学校の臨時救護所に収容された。だが薬もなく、三日目にやっと、ごま油を塗るだけの応急処置。

 全員高熱を発し、食事もまったく取れず、痛みに耐えて「イタイ」「イテェ」と呻(うめ)く。「水をくれ」「ミズ」の叫び。火傷(やけど)は膿(うみ)の層が十ミリから二十ミリにもなって、蛆(うじ)が涌(わ)き、取っても、取ってもとりきれない。

 一人が訳の解らないうわごとを言い始めた。聞き直しても返事がない。急に静かになった。息が絶えたのだ。

 「ミズ」「水を」の声も、「イタイ」「イテェ」の呻きも、「クルシイ」「クルシイヨ」の嘆(なげ)きに変わり、やがて虫の息になった。皆苦しみ抜いて、次々に息を引き取ってしまった。

 一番生き長らえた者でも二週間の生命だった。
                       

   兵士らの焼けただれたる背に膿(うみ)の層
          蛆(うじ)が群がりししむらを食(は)む










火に追われて逃げ惑(まど)う

     八月六日 広島
          二十三歳 女子挺身隊(ていしんたい)

 私たちは火に追われて逃げ惑(まど)った。
 
 辺(あた)りの人は全員火傷(やけど)して、手の皮が剥がれて垂(た)れ下っている。

 男女の区別さえ付きにくい、ひどい状態で、ただ右往左往(うおうさおう)している。

 連日の強い日差しで、口の中や傷口に姐(うじ)がわいてきた。

 火傷(やけど)の軽い人でも、数日後には、全身に赤や青の斑点(はんてん)ができ、髪の毛が抜けて死んでいった。



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