被爆55年 忘れられないあの日 11 ―広島・長崎被爆者の詞画集―
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被爆55年 忘れられないあの日 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/10/17 9:22)
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- 被爆55年 忘れられないあの日 21 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/9 7:24)
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- 被爆55年 忘れられないあの日 23 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/11 8:23)
- 被爆55年 忘れられないあの日 24 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/12 8:19)
- 被爆55年 忘れられないあの日 25 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/13 8:50)
- 被爆55年 忘れられないあの日 ―26 広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/14 8:29)
- Re: 被爆55年 忘れられないあの日 最終回 ―広島・長崎被爆者の詞画集― (編集者, 2010/11/15 8:07)
編集者
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それはまさに地獄(じごく)列車(二)
八月九日 長崎
十五歳 女学生
暫(しばら)く茫然(ぼうぜん)としていたが、気をとり直して車内に足を踏み入れた。
車内は、埃(ほこり)と、血の臭(にお)いと、呻(うめ)き声で異様(いよう)なものだった。
傷付いて動けない人を運び出す作業だが、手を握(にぎ)っても、皮膚(ひふ)がずるずるとむけて手が付けられないので、肩に担(かつ)いでホームに並べて寝かせた。
すでに息絶えた屍体(したい)もあった。
水!水!と縋(すが)り付く負傷者に、手分けして水を飲ませて走り廻った。
戸板やリヤカーに乗せて、海軍病院や学校等に怪我人(けがにん)を運んだ。
一人で逝ってしまった
八月六日 広島
十三歳 女学生
女学校一年生二百二十名は、市内土橋(どばし)で建物疎開(そかい)の勤労動員の作業中に被曝し、全員がな亡くなった。
一人娘の謡子(ようこ)ちゃんも、全身大火傷(やけど)を負い、救護所まで運ばれた。
「苦しい、苦しい」「オミズ、オミズ」
「おかあさん」
「おかあさん まだあ」
「胸をさすってえ」
「おばちゃん 手をにぎってえ」と、苦しみながら、八月六日午後十一時、一人ぼっちで十三歳で逝ってしまった。
翌日、漸(ようや)くたどり着いたお母さんに会うこともなく、一人ぼっちで。