@





       
ENGLISH
In preparation
運営団体
メロウ伝承館プロジェクトとは?
記録のメニュー
検索
その他のメニュー
ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

被爆55年 忘れられないあの日 10 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 10 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

msg#
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/10/27 7:48
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
防空壕(ぼうくうごう)にひびく呻(うめ)き声

     八月九日 長崎
          十三歳 女学生

 一瞬、何が起こったか分からなかった。

 私は母に助け出されて防空壕へ急いだ。
                      
 その母も全身傷だらけで血がにじみ、火傷(やけど)で服はボロボロだった。

 壕(ごう)の中では、怪我(けが)や火傷(やけど)をした大勢の人々が治療も受けられず、ただ横たわり、痛さをこらえきれずに呻(うめ)く声だけが、薄暗い壕の中にひびいていた。

 血を流した若いお母さんが、首をだらりと垂れて死んでいる赤ちゃんを背負っていた。

 今も、あのお母さんの虚(うつ)ろな日をわすれることが出求ない。









              
それはまさに地獄(じごく)列車(一)

     八月九日 長崎
          十五歳 女学生

 「救援列車が来る!」

 との事で、私たちはその世話を命じられた。

 入って来た列車を見た瞬間、私は息が止まるかと思う程驚愕(きょうがく)した。
          
 それはまさに地獄(じごく)列車そのものだった。

 焼けただれた顔、皮膚がはがれて赤く腫(は)れ上がった肌。

 髪の毛はほこりと血にまみれて逆(さか)立っていた。
                 
 機関車のありとあらゆる所に怪我(けが)人が縋(すが)りついていた。

 ギョロギョロとした日で見つめられて、足がすくんだ。

  条件検索へ