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被爆55年 忘れられないあの日 15 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 15 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/3 7:46
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
その夜から墓場で

     八月九日 長崎
         六歳 少女

 あの日のことは六歳の私の脳裏(のうり)にも、しっかりと刻(きざみ)みこまれています。

 歩いていたらよそのおじさんが、「おじょうちゃん飛行機がとんでいるよ」といいました。
         
 家の中に入った瞬間(しゅんかん)「ピカッ」 と光って壁がおち、もうもうと砂煙(すなけむり)につつまれました。
          
 中島川にかかった賑橋(にぎわいばし)近くの墓場に逃げました。

 山の上から向こうを見ると火の海でした。

 私は無心にその火を見ていました。
       
 あたりには怪我(けが)をした人が沢山横になっていました。

 その夜から私たちは墓場で過すことになりました。










変わり果てた母の姿

     八月六日 広島
         十六歳 中学生

 漸(ようや)く火が収(おさ)まったので、私は自宅の焼け跡に行って必死に母を探した。

 そして、やっと変わり果てた母の遺体を見つけた。

 母の脳天(のうてん)は未(いま)だ煉(くすぶ)っていて、白い煙を出していた。

 私は母の黒焦げの死体を抱いて泣きじゃくった。

 次の瞬間、私は狂気のように母の体を叩(たた)き砕(くだ)いた。

 そして、その上を目印の熱い瓦(かわら)で覆(おお)い、

 慟哭(どうこく)しながらその場を走り去った。


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