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被爆55年 忘れられないあの日 24 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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編集者

通常 被爆55年 忘れられないあの日 24 ―広島・長崎被爆者の詞画集―

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1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/11/12 8:19
編集者  長老 居住地: メロウ倶楽部  投稿数: 4298
山のような死体を焼く

     八月八日 広島
         十八歳 軍人

 尾道の原隊(げんたい)から派遣(はけん)された私達は被曝の翌日から死体収容作業に従事した。

 死体を運搬する作業は、始めは手間取ったが二日目からは作業に慣(な)れて、二人一組で素手(すで)で運び、死体の山に古材と重油をかけて火葬にした。

 遺骨はバケツで運び、近くに穴を掘って埋めた。
 
 終戦間際(まぎわ)に集められた兵隊で実戦の機会はなく、この遺体処理がただ一つの戦争体験となった。しかし、つらい、悲惨(ひさん)な作業で、死者や遺族のことを思うと、五十数年経った今でも胸が痛む。










幼(おさな)かった私が見たもの

     八月六日 広島
         四歳 幼女

 私の家は、広島のはずれの方にあったが、当時、幼(おさな)かった私はあまりよく覚えていない。
爆風で家中の窓硝子(がらす)にひびが入った。

 市内の方から大勢の人が、次から次へと家の前を通るので、廊下の手摺(てすり)につかまって外を見て驚いた。

 子供の私には、幽霊(ゆうれい)のように見えた。

 とても怖(こわ)かった。

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